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水とタバコ

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たぶん知っていた


さいきんtwitterとかpxvについて色々考えてて、色々考えちゃってる時点ですでに現代の諸々に染まってるって思うんだけど、それについて書こうとしてあほらしくなってやめた。代わりにくそどうでもいい私のさいきんのこと。年末年始はやっぱりぜんぜん楽しくなかったのだけれど、数年ぶりに初詣に行けたしおみくじも引いたし初売りにも行けて、ぜんぜん楽しくなかったなりに年末年始らしい年末年始を過ごせたのではないかしら。年始早々生まれて初めてドンキに行ったのはどう考えても意味がわからなかったけれど(言いだしっぺは私)。毎年年末年始は心身ともに不調に陥りやすいのですが、ことしも例によってそうで、かなしかったけれど、まあいいや。きょうお散歩ついでにCD屋さんにいって前々(かなり前)から気にはなっていたけれど私にはもう若すぎてだめだわって思っていたバンドのCDをものは試しと借りて聴いたのですが、ああ、この感じを私は今まで何度も体験していたはずだったな、ということを思いだして、せつなくなった。たとえば19歳の私や21歳の私が手にとっていたとしたら、今頃は自分の中のだいじなだいじな一つとして育ってくれてたんではないかしら。感情が年々にぶってきているのをおぼえるとただただ虚無、ってかんじがしておそろしくもなる。このバンド、名の知れたバンドなので私がどうこういえるものではないしいうつもりもないのだけれど、今の私が愛するにはあまりにも若くて純粋で、手に余って、困っている。ああすきだなあと声にするのが憚られる。ほんとうはそんな躊躇い必要がないはずなのに。聞きたくない言葉ばかり耳に入るし見たくないものばかり目に映るし、でもそんな中で私は生きているのだなあ、なんかそれってすごいよなあ。去年は身を護る術を知らなくてど、どうしよう…ってなってばかりいたけれど、今年はそこそこ守りに入って、でも必要な楽しみは取り入れて、自分で自分をきちんとコントロールできるようになりたいものです。私は周囲の同年代の子たちよりはるかに臆病で、世間知らずであることはもう充分に思い知ったし人間として生き始めて間もない幼児なのだから、自分を通じて痛みをおぼえないと他人の痛みがわからない三歳児なのだから。

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独りきり置いていかれたってさよならをいうのはおかしいさ

主体性を持たずに生きてきました。
我が強いとか根性あるねとかの言葉を戴くけれど、それは単に負けず嫌いで頑固で一度くちにしてしまったことやひとに頼まれたり「こうしなさい」と言われたことには責任を持たなければならないという強迫観念があるだけです。何がただしいのかとか間違っているかとは問題ではなく、やり遂げること、しか眼中にない。
自分の首を絞め続けて生きて、苦しいけれど、今さらこの生き方を変えろといわれても無理な話で、だから私の病気は治らない、(それでも僕らは生きていく)

真っすぐでありたいです。主体性がなくても言われたことを忠実にこなすだけの脳なしだとしても、一度決めたことは貫きたい人間でありたいです。そしていずれ自分で自分の人生を歩みたい。自分で自分の人生に責任を負いたい。
24にもなって未だにこんな程度の目標しか掲げられないのだからやはりすこしどうかしているのだと思います。


あけましておめでとうございます。
去年があまりにも速くて振り返っても残像さえ見えないかんじだったのですが、思えば(私にしては)たくさんの人と交流させて戴いた一年でした。関わってくださったかた、ほんとうにどうもありがとうございました…近々またお会いしたいですね。

人に恵まれていると思います。
私はいつも受けみで、与えられてばかりの人間で、何かをしてあげたいけれどできることが何もない。
また一つとしをとるのがただただおそろしくてこのまま何一つ成長できないまま老いてゆくのかなとか、
思うと絶望しますが、
もうかなしいのは要らないなとつくづく思います。今は自分ちでおそ松さん観てあへあへしてます。松さん観てあへあへすることで過ぎてゆくだけの2016年にしたい…何があっても笑っていてえ~死ぬこと以外は無問題~私は141寄りの数字松惜し(リバ可)


そういえばtwitterの鍵を開けてみました。sns向いてないからもうやめなさいなと思いつつ…日常のこと多めでしょうがお気軽にフォローください。
@txx0ri

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年の瀬

メリークリスマスでした。ブログ放置しててすみません。気がついたら広告が出ていてびっくりした。もうそんなに時間が経ったのか。
11月からつい昨日まで忙殺されていました。今にも崩壊しそうなメンタルをおそ松さんを観ることでなんとか支え、うっかり沼に落ちそうです。ミーハーで、すみません。
pixivでもtwitterでも右見ても左見てもおそ松さんおそ松さんおそ松さんおそ松さんおそ松さんで、圧倒されています。情報がグアーッと来ると混乱するたちなので敢えてひと様の二次創作などはあまり見ない(見れない)のですが、私の頭の中では十四松と一松がアツい。あのふたりデキてるんでしょ?このふたりのcpが数字松っていうの?なんかまだいまいちわからないおそ松同人界。そしてまんまと踊らされてる。


2015年が終わりそうで、この一年をふりかえってみたけれど、ふりかえろうとしても記憶がぜんぶ飛んでて何ともいえない気持ちになりました。何があったんだっけかこの一年。たしかに色々あったはずなのに、色々あったがゆえに何がなんだかよくわからない。
忙しかったな~よく一年頑張ったよ自分…クリスマスの夜にこんな記事を書いてる24の女、どう考えてもヤバいと思うんだけど、こういう生き方しかもうできないのだろうなってさいきんは諦めています。
今年の目標であった“人と関わる、へやを清潔に保つ”はだいたい達成できたけれどまだ不十分だから継続。“身形に気をつける”はぜんぜん気をつけられなかったから来年はもっと頑張ること。

年々、最低限のものしか持ちたくなくなってきて、必要のないものをばさばさ切り棄ててゆきたくなってきて、
よいのか悪いのかわからないけれど、身軽ではいたいんだよなあとは思っています。つねづね。
だからたぶん一生一人なのだろうなとも思うし、そんな思考回路しか今はまだ繋がっていないようなので。
何でもいいけどもっと色々書きたいね。甘いのから辛いのからしょっぱいのまで。
先日とっても嬉しいお言葉を戴いてしまったのでそれを糧にして。


みんなさま、平和なクリスマスを。

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キョート





京都にゆきました。一泊二日。

もう数年前からすきで、勝手にお慕いしていたかたにつねづね熱烈なラヴコールを送り続けていたところ、見兼ねたのか、逢ってくださるということになり、わーい!となって行ってきました。

新幹線を乗り継いで4時間。人生2度めの京都。世間様的にもシルバーウィークで人がごみのような京都駅は都会的で、近代的で、西のお国のことばが飛び交っていて、ときおり英語や中国語もまじっていて、迫力がありました。







一乗寺にある八大神社、詩仙堂、圓光寺を案内して戴き、庭に面した畳の間でしばらくじっと外を眺めていた。ずっといれると思った。

寺社仏閣の知識など皆無にひとしい私(だいたい、いつも、フィーリング)に、一つひとつ丁寧に案内してくださった。

天気にめぐまれて、気候もほどよく、歩きまわれば汗ばむくらいだったのだけど、よい時季に来れました。



有名(私は知らなかったのですが)な恵文社にも連れてって戴いたのですが、なに、このすてき空間…ってかんじで、ああいうのをみるとやっぱり私も何かしらを書きたい作りたい、って気持ちになってしまう。





かれこれ7年くらい(さだかではない)ネット越しに片想いしていたかたと、まさかこんなふうに実際にお逢いして、お話ができるなんて信じられなくて、私は終始緊張でがたがた震えていたのに、こんなストーキング野郎をあちらは心優しく迎えてくださって、

まったくもって頭が上がりませんでした。

優しくて品のある、井.川.遥似のすてきなお姉さんで、抹茶の和パフェを食べる所作のいちいちがうつくしく私は私の雑さを恥じた。







すきなものを増やしたくて大事にしたいものを抱えていたくて、24歳にもなって今さら、これまでの棒に振った時間を埋めるようにあちこちみて歩いたり人と会ってみたりして、

自分のために、ただただ自分のために生きていきたくなって、

でもそれをかんぜんに肯定して心からこころを傾けることに不安もあって、私ばかり私ばかり私ばかり、私ばかりしてるなあこんなふうに楽しんでしまっていていいのかなあって不安を感じたり罪悪があったり、して。

楽しんでいいんだよ安全で安心な場所に身を任せていいんだよって、

思いたいのにおもうことに恐怖が、ある。

みうごきが、とれません。



楽しい嬉しい可愛い面白いすきここにいたい。あれみたいこれしたいあすこに行きたい。

かえりみちで唐突に津村記久子の『ポトスライムの舟』を読みたくなって、帰宅してから読んでるけど、

胸に抱いてわーんて泣きたいような気持ちを言語化してくれているからいつだって泣いてしまう。

「もっと自分は望んでいいはずなのだけど。それこそ望むだけなのだとしたら。」

ちょっと自分本位すぎるかな。でも切実に私は、私を生きたくなってきているんでした。



 夜の電車の暗い窓に映る自分を探すぐらいのことで過ぎていく毎日。忙しくしているのは自分自身じゃないのかという自問が首をもたげるが、忙しくしないと生きていけないのだ、とすぐに心のどこかが応える。家を改修しなければいけないし、毎日ごはんを食べなければいけない。暗い夜には電気をつけ、暑い夏には冷房を、寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために。

 維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが、生活を維持して。

 ――『ポトスライムの舟』 津村記久子




生きている限り人間だから、どうしたって人間だから、みんな幸せになりたいし誰かに承認されたい。ここにいて、生きているのだとゆうことを誰かに知っていてほしい。すくなくとも私はずっとずっとさびしかったし幸せになりたかったしみとめられたかったし生きていてもいいんだよここにいていいんだよって誰かにゆってほしかった、今もむかしも幸せじゃなかったなんてことはないしじゅうぶんに恵まれていたし生かしてもらった、つねに焦燥がつきまとっていたとしても周りの人たちのぶきような愛情はあたたかかった。でもそれ以上を希んでしまう。もう大人なのにいまだに誰かの許可を求めている。



贅沢だな。

今にきっとわかるよ。

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かなしみ

いわゆる“よいもの”をつくる人は、あらゆる物事を寛容に受け容れられたのしめる人か、圧倒的なかなしみに暮れている人かのどちらかしかなく、その二つともを具えていられれば怖いものなしなんだろうけどそんな人間そうそういなくてどちらかが具わっていればまあラッキーくらいの心もとないものなのかもしれない。そして前者でも後者でもその具わったものというのは一生のもので一生纏っていざるをえない脱げない鎧で、前者が一生をかけてすべての物事を寛容に受け容れたのしんでいるいっぽう後者は一生しぬまで圧倒的なかなしみに暮れているほかないんです。むしろ圧倒的なかなしみに暮れなくなってしまえばもうそこで終わりなんです。圧倒的なかなしみから解放されてしまえばその人はもうかつての“よいもの”をつくったその人ではなく、だからその鎧はけっして脱いではいけない呪。

「幸せになってはいけないよ、笑っていてはいけないよ、泣いていなければいけないよ。一生そのかなしみを脱いではいけないよ。」

誰かが囁くからきっと一生幸せにはなれない人がいるということ。


そんなかなしみに暮れている。

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