薬キメてるみたいな記事だけど私はつねにしらふです。 Category:murmur Date:2016年06月23日 ぴっしぶに置いてた闇金をサイトにも持ってきました。柄丑でも戌丑でも高丑でも滑丑でも、社長がいればもうなんでもいいな…あの人は魔性です。愛されて然るべき存在です。だってあんなに恰好よくて可愛くてえろくってうつくしくて哀しいんだもの。とか、言ってみる。あんなに哀しくてうつくしい男どこ探したっていません。なのでお願いなのでどーかどーか総じて愛されていてください。先だって久々にぴくしぶ覘いてみたら滑丑がけっこうな数あってびっくりしました。い、いい……正座してゲンドウポーズで読んでしまった。滑丑、最高にえろい。柄丑が柄崎による社長への無償の愛だとしたら滑丑は見返りを求めての愛、かなあ。一方的に矢印を向けて、望むような反応が社長から返ってこないと不機嫌になるなめっかわさん。可愛い。そのためには暴力を厭わなくて、というか暴力でしか相手に何かを伝える術を持ってなくて、などと考えていたらなめっかわさん、いいじゃないですか…あああつって、社長からしたらいい迷惑だしあの人にとってなめっかわさんは腐れ外道に変わりはないのだけど。ないのだけども。ないのだけども、この野郎と思いつつぐっちょんぐっちょんにされてしまう社長めちゃくちゃよくないか。めちゃくちゃいいです。ネタだけなら柄丑と中学時代の竹丑などぽつぽつとあるんですけど、いかんせん書けるほどの気力がまだ戻らなくて、一人でもだもだしてます。夢だとわりにすんなり書けるんですけど。ほもは公式が公式すぎるから実際つけ入る隙がないってのもあったり。36巻よんで、ほんとかなり落ちこんでました。加納が死んでしまったことも社長が獏木くんらを殺してしまったこともめちゃくちゃにショックで、なんか静かに終焉に向かっているようでおそろしいしさびしくてだめでした。本誌は4月の巻頭カラーのあれ以来怖くて読めてません。。でも6月30日に新刊出るとか出ないとか…ああ……・お仕事、最近はあんまり頑張ってないので本がたくさんよめて嬉しいです。中村元先生の『ブッダ入門』すげー面白かった。あんなに萌える(とかいうなよ)やさしい入門書はじめてよんだ…!人間としてのシッダールタについてさくっと知りたいかたにおすすめ。処でpcにsafari入れてるので改めて使ってみているのですがIEより軽くっていいな…このpc自体もう何年使ってるかわからないのにまともにsafari使ったのは初めてかもしれない。ていうかsafariがどういうものなのかすらよくわかってなかった。今までほんとに、与えられたものをただ享受してきただけなんだなーって思いました。自分で選択して自分で決めるってこと、ちゃんとしてこなかった。もう大人なのにまともな大人にはまだなれそうにないっていうちょっとした失望。 PR
人はいつか死ぬ(備忘録) Category:murmur Date:2016年06月15日 この記事はわたしの備忘録メモです。6/13と6/14にかけて一泊二日で山形は鶴岡に行ってきました。地元から車で片道4時間弱、トータル399.4kmでした。こう書いてみるとけっこう距離あるな(うろうろしてたせいもあるが)隣県なんだけど。0830出発し新しくできたICから高速に乗り東北自動車道を岩手福島方面に向かってひた走る。こっちのほうでは有名かついちばん大きなSA菅生で休憩して、また東北自動車道に乗って村田JCTで山形自動車道に乗り換えまた走る。このあたりで1000、山形自動車道はとにかくひたすら山の中を走ってるって感じで、平日で小雨だったこともありほかに車もいなく、快適でした。やまあいなので周辺はガスで充満、小雨のせいで視界はすこぶる悪い。上り下りともにマジで誰も走ってなくて「マジで誰も走ってない」と8回くらいくちにした。有名ですが月山のふもとで一度降り、今度は国道112をひた走る。R112から鶴岡市内まで行ったのですが今改めて地図みてみたら別にまた高速乗ってもよかったんだな…(で、鶴岡ICで降りる)めちゃくちゃふわっとした地理感覚で行くからこういうことになるんだ。しかし112号線、信号ないしただただ一本道だし車もないので体感としてはほとんど高速と変わらない。おっかないのでスピード出さないけど。雨だし。山だし。1200鶴岡駅着、からの1230加茂水族館着。鶴岡のまちは地元の港町と変わらない印象、ちょっと古びてて寂れてて、過疎化のすすんだまち、って感じが否めず、でも加茂方面に行ったら観光客でそこそこ賑わっていた。平日なのに。雨なのに。有名な加茂水族館、初めて行きました。くらげはもちろんですが私はアシカがあんなにぬるぬる動くいきものだとは知らずおったまげた。ぬるぬる動く!信じられないくらいにかあいい!!(今まで何して生きてたんでしょうね)アシカは脂肪の塊ときいていましたがたしかに、ぷるんぷるんっしてて、思ったよりデカい。うわっデカい…って思わず言っちゃうくらいデカい。あとほんとにどうなってんだ?って思うくらい意味のわからないからだの作りをしていて、ほんとにどうなってんの?くらげもまたどうなってんの?何のために生きてるの?って思いながら眺めてました。きれいだった。きれいだったのに、お昼に食べちゃったのちょっとかわいそうに思った(でも食べた)。くらげは脳みそないんだって、考える機能がそなわっていないんだって。餌を食べるのも触手に触れた餌にたいするただの反射なのだって。雌雄はあるけれど受精していくつかのかたちを経て(細胞分裂を経て)くらげになるらしいけど寿命は短く一年くらいで溶けてばらばらになって死ぬらしい。弱ってきたり死んだりしたくらげはほかのくらげに食べられることもあるらしい。(というか加茂水族館にいるくらげの餌はほとんどくらげらしい)えっ 何のために生きてるの?って問いたくなる一生。きみら何のために生きてるんだ…その、細胞分裂を経てくらげになる過程含め意味がわからなさすぎて昂奮しました。加茂水族館のある一帯は当然港で、きれいな湾曲をえがいていてすてきでした。加茂水族館から鶴岡駅近くのホテルに向かって温泉浸かってごはん食べて寝て2日め、鶴岡公園とその周辺をうろつきました。まず南岳寺でほとけさまを拝観。真言宗派のお寺で即身仏が安置されてるちっさいお寺さん、ちっさすぎて迷った。今回もまたはからずも寺社巡りの旅になったわけだけど、南岳寺はほんとうにみるべき、行くべきと思ったし行けてよかった…と心から思いました。わたしは宗教入ってないけど、目にしてようやく宗教ってものの存在意義を納得した。今まで理解はしていても納得はできなかったから。アーだから皆さん縋るんだなって心理がよくわかった。納得した、つって文字にしたりこう思ったんだよってことをくちにしたりすべきじゃないこともわかった、言いようがないもの。ただ、あーそっかーって思った。そっかー、そっかそっかーってしかいえない。でも納得した。ナルホドと思った。頭の悪い書き方なのは知ってるけど。 - 南岳寺(山形県鶴岡市観光連盟)ttp://www.tsuruokakanko.com/cate/p0017.html鶴岡公園は広くて、お散歩するに相応しい空間。その中に藤沢周平記念館、大宝館、致道館などがあり、ぜんぶ廻りたかったけど時間の関係もあり記念館と大宝館と荘内神社だけで我慢…いやしかし大宝館すごいよかった…どこにでもある資料館なのだろうけどわたしてきにすごいツボだった…内容はもちろんだけど造りがもう、ドツボ。いい……って恍惚とした。 - 大宝館(山形県鶴岡市観光連盟)ttp://www.tsuruokakanko.com/cate/p0008.html鶴岡駅から7号線沿いのお土産屋さん寄って、帰りました。帰路は鶴岡ICから山形自動車道、112に乗って来た道戻る。1720には家に着いてしまった。あっというまだった。ぶっちゃけ加茂水族館以外にぜったいにここに行くって決めて行ったわけではないのに(2日めとかマジでノープラン)(ホテルにて決めた)ものすごく充実した内容になって、本人がいちばんびっくりしてます。あー楽しかったーまた行きたいーって思いながら帰れたのでよかったです。なんかそれだけで充分です。この間ちょっと色々あって田舎者コンプレックスと学歴コンプレックスの軋轢で死にそうだったんですけど、なんかもうどうでもいいというか、私ここらへんの人でよかったなーって今は思ってるからもういいんじゃね…東北は冬場は厳しいけど馴れてしまえばまあまあいいところですよ、よそさ行きたい気持ちも(未だに)あるっちゃあるけれど、どうせ出られないのだろうしならちょっとでもすきになるしかないよなあと。ごはんは美味しいし人は優しいし温泉もたくさんあるし山あるし海あるし川あるし湖あるし沼あるし車走らせれば大概のところ行けるし(ただし電車はない)、仙台駅前以外の場所はだいたい過疎っているけど都会の真似事ばかりしてそのたびにさびしい思いをさせられるけど、いいところには違いないからみんなどんどん東北来よ……私は都会に出る気持ちはもうないです。 ってかiphoneで写真撮りまくったけどそろそろちゃんとしたカメラ欲しい。
処女性を喪わない人妻 Category:murmur Date:2016年06月06日 って、ことばが思い浮かんで、それイイネ!って思ったので今年のテーマにします。ことしもうあと半年しかないけど。久しぶりにこちらに顔を出してみる。もはや何のためのものなのかわからないけれど、自分のための備忘録がまだまだ必要なようです。こんな僻地のブログを見てくださっているかた、ほんとうにどうありがとうございます…拍手までぽちってくださったりして、さっき気がついて一人でおろおろしてしまった。すみません。ありがとうございます。とってもとっても嬉しいです。ツイッターに入り浸りすぎて、もはや何垢なのかわけがわからない状態のいま鍵開けるのもおそろしくて、垢別けの必要を感じますが別けたところで結局は一つのアカウントしか使わなくなるんだろうということは明白なので俺はあそこから動かない動けない。しかしツイッターは便利だなあ…知りたいことがどんどん出てきよる、あれもこれも出てきよる。若干怖い。むかし、忍者で書いてた頃にめちゃくちゃにすきだった人の今はほぼプライベートぽいでもあくまでオタ垢を見っけてしまって、すこし感動しました。みんなどこかで繋がってる!すごい!わ、私この人の書くものぜんぶ好きだったんだ…文も絵も日記での文句もいちいちすきだったんだ……すき……結婚おめでとうござます……(いつの間にかご結婚されていた)・5月半ばくらいに体調を崩して一週間お仕事休んだりして、今も半日だけの勤務にさせてもらっていて時間はあるのに頭と体が追っつかなくって、うーんって感じの日々を過ごしてます。まあまあ元気なんですけど。来週にはフルに戻る予定だけど、戻れんのか? 戻れなかったらどうしようとか、考えちゃいますがまーそれはその時考えよう。いま頭が若干、廻らないみたいで、あんまり文章も書けなかったり記憶が飛んだり目が泳いだり外出困難だったりして、でもこないだ久しぶりにまちに出て人と会って茶をシバくなどして楽しい時間を過ごしました。あとは本をちまちま読んでます。本谷有希子の『あの子の考えてることは変』を読んだんですが、本谷の小説は女の激情をこれでもかってくらい叩きつけているので読んでいてひりひりしました。自分の内側に溜まった毒を、相手の肩を掴んで揺すぶって浴びせまくる。それがめちゃくちゃに痛い。痛くて痛くて、心地好い。私のことわかって!!!!って絶叫してるイメージ。『生きてるだけで、愛。』を読んだ時もそうだったけど。持て余している自分の手綱を握ろうとしてうっかり手を離してしまう、その瞬間の切り取り方が凄まじく生々しい。怒りの熱量と「私のことわかって!!!!」っていう希求が理解できすぎてつらかったです。「私のことわかって!!!!」からの、「なんでわかんねーーーんだよ!!!」からの、「もうわかってくれなくていい私も私のことわかんねんだから!!!」っていう、希求からの失望と諦念。でも絶対的な絶望ってわけじゃないからそこは救われる感じがする。・先日暇を持て余したあまり遊びでコピ本(っていうかZINEみたいの)を作ってみたら楽しくなっちゃって、紙媒体って素晴らしいすね…それらしくなる…古い新潮文庫みたいな感じになったけど。どんなもんかって思ってやってみただけだけど、せっかくだしもしもらってくださるかたいらしたら無料で差し上げますよ…などとも思ったりして、ます。イベントには参加しないので自家通販になると思いますが。今は漠然と思ってるだけですがそのうち、完全受注生産性でそういう企画したいかなー私の自己満足につき合ってください企画。web再録いくつかと、↓で書いた影菅に書きおろしつけたやつ。手作り感満載のとしょだよりてきなあれになると思いますがあれこれ考えるのは楽しい。やっぱりものを創る作業って楽しいのな。
映画「LEON」がちょうよかったよって話。 Category:murmur Date:2016年05月21日 レオン 完全版DVDあれこれamazonの画像貼れないのかしら。諸事情によりお仕事一週間ほどお休みすることとなり、ほぼ寝たきり状態でできることがあまりにもないため、これはいけない、と思ってとりあえず五感を刺激したくて名の通ったタイトルを借りてきたのですが、昨日映画「LEON」を観てあまりのよさに身悶えたのでつい筆を執ってしまったっていう。いうまでもなく高名なタイトルですが私は洋画がさっぱしだめで、なんならスターウォーズも観たことがない人間だったのですがレオンは、レオンは……レオンはいいぞってなりました。孤独な殺し屋レオンと、おなじく孤独でおませな十二歳の女の子マチルダとの心の交流を描いた作品――みたいなことがウィキペディアに載っていたのでそう書きます、要するにだいたいそんな感じ。うんまああるあるってかんじの内容ですが劇場公開が1994年とかそこらで、ああこれに影響受けたんだろーなーって思われる諸作品がちらほら頭をよぎりました。レオンは学がなくて読み書きも満足にできないし、人を殺すことでしか自分を生かしてあげられない。マチルダは大人の汚い世界をみせつけられて大人を信頼できなくなっている、弟を可愛がって弟にはまっすぐな愛情を注いでいる。お互いが愛情に飢えててたりなくて、そのたりないところを埋めるように寄り添う関係はプラトニックで、父と娘に近くて、でもませたマチルダはレオンに「恋をしたみたい」などという。レオンはそれきいて飲んでたミルクを噴き出す。なにこの流れ萌えるしかないじゃん。って思った。男女間の愛情についてさいきん考えてて、男の求めるものはけっきょくは母性的な愛情で、乳をすったりしたがるのもおかあさんに甘える行動とおなじで、男女のセックスが胎内回帰願望に思えてならない。っていうかそのての脈絡が私がすきなだけかもしれないけれど、或いはそうであってほしいなーのあらわれなのかもしれないけれど。子をつくる行為としてのセックスをいまいち、肯定できないので私はむしろこれを推すしこうであればいいのにって永遠に思いながら死にたひ。それでレオンとマチルダの関係は限りなくそれで、そうそうこういうの!ってベッドに寝転がりながら膝を叩いたのでした。マチルダが十二歳というのも、未成熟で処女で、マリア様みたいだった、ファッションも。願わくばマチルダにレオンを抱いてほしかった。今思ったけれどマチルダのファッションってやんちゃ娘というより(現代ファッションでの)ロリータに近い。すこぶる可愛い。レオンがマチルダに抱く感情ってまちがいなく愛情なわけだけど、それは恋人にむける愛情というよりかは母性を求める少年が抱く愛情であってほしいです。マチルダもレオンに向ける愛情は自分の子どもに向ける愛情であればいい。お互いに「この(人)(子)のことは(私)(俺)が護らなきゃいけない」って思いあってる。疵を舐めあってる。疵 を 舐 め あ っ て る 。 is 萌える。脱線しますが、情報過多ってだめですね。これだけ情報が氾濫している世の中で、もう完全に新しいものを生み出すことってほとんど奇跡にひとしいんじゃないかしら。何観ても何聴いても、「あっこれ××みたいなやつだ!」「あっこれ○○に似てる!」みたいな、「□□みたい」であふれちゃってる。それに反発して敢えてあのアーティストとおなじジャケ写にしました!って私のすきなアーティストがやってましたが、そのくらい皮肉ったり自虐(というのも違うけれど)を交えないと今後の創作物が継承されるってすごくむつかしんじゃないかしら。とか、思ったり。影響を受ける、って、最初に身を削って生み出した人の肉片を鍋でことことことこと煮こんでこんな料理にしました!ってことなんだけど、これからはそういうのさえなくなって、○○的なもの、□□風の、が増えてくんだろうなあと、歴史は繰り返すから。ものには限りがあるし、生み出されるものにも限界がある。人間の想像力の限界、っていうか。それで生活に支障が出るってことはたぶんないんだろうけれど、感受性は確実にとぼしくなるのかなって。何観ても何聴いても「アー、ソレソレ、イイヨネ」。とか、たぶんどっかの誰かが疾うに言っているだろうことを書いてみる。やっぱり限界はあるんだよね。人間だもの。ああーしかしほんと、すごくいい映画を観さしてもらった…と久々にほくほくしましたほんとうにありがとうございました。うちの近所のレンタルビデオ屋は5枚借りてきて3枚は必ずいいところで停止→強制終了することが多いのですがレオンにかんしてはその呪がかけられてなくてほんとによかった。古田新太主演の「小森生活向上クラブ」に至ってはディスク入れた途端にガラガラガラッて厭な音がして“ディスクを再生できません”って表示されて生きる気力を失くした。レオンはそんなことなかった。ありがとう。さすが高名タイトルなだけあって管理がちゃんとなされている。DVD買います。元気がないからって無駄に元気でちょうくだらないやつを観ようとしてやっぱ無理ってなるので、元気がない時こそ自分の好みの色合いの映画を観るべきだし小説を読むべきなんだなって思いました。ああ~~~~ なんにしてもレオンはいいぞ。レオンはいいぞってなるからレオンはいいぞ。
かみさまかみさま Category:murmur Date:2016年05月12日 高名な演出家である蜷川幸雄さんが亡くなられたと聞いて、泣けるような人間でよかったなと思う。蜷川監督の上澄みみたいな作品をすこしばかり観たきりで、知識もないしたいして熱心なファンでもないくせにめそめそと泣いてしまったのは、ああこういう人も死ぬのだな、当り前だけど、当り前に年をとるのだなという事実を改めて思い知らされたからでした。酸素を背負った車いす姿で、お誕生日のケーキのろうそくを吹き消す映像をニュースで観て、この人も人間だったんだって不思議な心地になって気がついたら泣いていた。私自身もうけっこうないいとしなのですが、人間が生まれてきたり死んでいったりするという現実を当り前に“そういうもの”として納得できなくて、理解はできても納得はできていなくて、さいきんはとくに、名の通った人たちがばたばたとこの世から去っていくさまを眺めて、焦燥感で茫然としてしまう。キヨシローが死んだ時もおなじようなことを考えていて、あれはもう6年くらい前にもなりますか、その時から私はちいとも変われていないんだなあと思う。山口富士夫が死んだ時も。生きているあいだに神様になってしまった人は、死んでようやく人間になれるのだってやっと気づいた。キヨシローが死んだ時、はじめてあの人のこと「あの人も人間だったんだね」って思えた。それまでああいう人が死ぬなんて思いもしなかった。でも、死ぬんだよなあ、当り前だよ、人間だもの。神様ってきれいなものじゃなくてね、ひどく人間くさくて泥くさく這いずりまわって苦しそうに生きてる人こそ、人間だけど、神様だと思う。存在しない偶像じゃなくって実際に生きている人そのものが神様なんだ。だからいずれは年をとって死んでくんだ。神様だけど人間だから。そういう人たちの訃報を聞いて泣けるような人間でよかったなと思う。それはもう心底思う。ご冥福をお祈りします。