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水とタバコ

キョート





京都にゆきました。一泊二日。

もう数年前からすきで、勝手にお慕いしていたかたにつねづね熱烈なラヴコールを送り続けていたところ、見兼ねたのか、逢ってくださるということになり、わーい!となって行ってきました。

新幹線を乗り継いで4時間。人生2度めの京都。世間様的にもシルバーウィークで人がごみのような京都駅は都会的で、近代的で、西のお国のことばが飛び交っていて、ときおり英語や中国語もまじっていて、迫力がありました。







一乗寺にある八大神社、詩仙堂、圓光寺を案内して戴き、庭に面した畳の間でしばらくじっと外を眺めていた。ずっといれると思った。

寺社仏閣の知識など皆無にひとしい私(だいたい、いつも、フィーリング)に、一つひとつ丁寧に案内してくださった。

天気にめぐまれて、気候もほどよく、歩きまわれば汗ばむくらいだったのだけど、よい時季に来れました。



有名(私は知らなかったのですが)な恵文社にも連れてって戴いたのですが、なに、このすてき空間…ってかんじで、ああいうのをみるとやっぱり私も何かしらを書きたい作りたい、って気持ちになってしまう。





かれこれ7年くらい(さだかではない)ネット越しに片想いしていたかたと、まさかこんなふうに実際にお逢いして、お話ができるなんて信じられなくて、私は終始緊張でがたがた震えていたのに、こんなストーキング野郎をあちらは心優しく迎えてくださって、

まったくもって頭が上がりませんでした。

優しくて品のある、井.川.遥似のすてきなお姉さんで、抹茶の和パフェを食べる所作のいちいちがうつくしく私は私の雑さを恥じた。







すきなものを増やしたくて大事にしたいものを抱えていたくて、24歳にもなって今さら、これまでの棒に振った時間を埋めるようにあちこちみて歩いたり人と会ってみたりして、

自分のために、ただただ自分のために生きていきたくなって、

でもそれをかんぜんに肯定して心からこころを傾けることに不安もあって、私ばかり私ばかり私ばかり、私ばかりしてるなあこんなふうに楽しんでしまっていていいのかなあって不安を感じたり罪悪があったり、して。

楽しんでいいんだよ安全で安心な場所に身を任せていいんだよって、

思いたいのにおもうことに恐怖が、ある。

みうごきが、とれません。



楽しい嬉しい可愛い面白いすきここにいたい。あれみたいこれしたいあすこに行きたい。

かえりみちで唐突に津村記久子の『ポトスライムの舟』を読みたくなって、帰宅してから読んでるけど、

胸に抱いてわーんて泣きたいような気持ちを言語化してくれているからいつだって泣いてしまう。

「もっと自分は望んでいいはずなのだけど。それこそ望むだけなのだとしたら。」

ちょっと自分本位すぎるかな。でも切実に私は、私を生きたくなってきているんでした。



 夜の電車の暗い窓に映る自分を探すぐらいのことで過ぎていく毎日。忙しくしているのは自分自身じゃないのかという自問が首をもたげるが、忙しくしないと生きていけないのだ、とすぐに心のどこかが応える。家を改修しなければいけないし、毎日ごはんを食べなければいけない。暗い夜には電気をつけ、暑い夏には冷房を、寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために。

 維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが、生活を維持して。

 ――『ポトスライムの舟』 津村記久子




生きている限り人間だから、どうしたって人間だから、みんな幸せになりたいし誰かに承認されたい。ここにいて、生きているのだとゆうことを誰かに知っていてほしい。すくなくとも私はずっとずっとさびしかったし幸せになりたかったしみとめられたかったし生きていてもいいんだよここにいていいんだよって誰かにゆってほしかった、今もむかしも幸せじゃなかったなんてことはないしじゅうぶんに恵まれていたし生かしてもらった、つねに焦燥がつきまとっていたとしても周りの人たちのぶきような愛情はあたたかかった。でもそれ以上を希んでしまう。もう大人なのにいまだに誰かの許可を求めている。



贅沢だな。

今にきっとわかるよ。

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