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水とタバコ

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台風





台風一過。



嬉しいお言葉をたてつづけに戴いてしまい、ど、どうしよう…って気持ちでへやをうろうろしてました。
めっちゃくちゃに嬉しくて、感激で、でもそれをつたえる術がわからなくて知らなくて、
ありがとうございますしかいえないのが、なんとも、心もとないです。

ありがとうございます。みていてくださって。その一言に尽きてしまう…。
はああ、嬉しい。




きのう台風が直撃しまして、仕事だったんですが、出勤したものの道路が冠水していてもうどーにもこーにもどうにもならんってことで一時帰宅、過ぎ去るまで自宅待機になってぼうぜんとしてました。
震災の時も思いましたけど、水はこわいですね。

あと消防車のサイレンの音がむかしからだめで、子どもの頃はあれを聞くと気がふれたみたいにおお泣きしてました。未だにこわくて、やっぱり、だめです。
今日は晴れてくれてよかった。


おたくやめられなくて、つらいです。もう治らないのだこの病は。
影山の怖いものってなんだろう。かれにそうゆう概念はあるのだろうか。物質にたいする恐怖なんて。観念的なものならあるかもしれないけど。そうゆうとこ菅さんのがイメージしやすい。でも影山だって人間だから、なんかそういうとこで人間らしさを感じるとすこし嬉しいしホッとする。

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9月だし気が狂っとる

きのう上げたやつがあまりにも暗くていやだったので私の精神を安定させるためだけの影菅を書いた。
【HQ!!】ここからはじまる【影菅】
あほなのかしら。

影菅の二人がいっしょに暮らすきっかけってたぶんこんななんじゃないかしらって思います。
なんでこいつが帰る場所はここじゃないんだろうっていう、菅原の疑問。

ここ数箇月、なんにも書けなかったどころかきゅのことをまるでぜんぜん考えられない生活を続けていた反動か、今めちゃくちゃに影菅書きたいし読みたいです。
そしてあいもかわらず年齢操作ばかりしてるんですけどほんとに書きたいのは高校生の二人なんですって一年前もおなじよなことゆってました。




ちょっとだけネガティヴなこと。


自分の書いたもの、むかしに比べてずいぶんと書けなくなってきてることは自覚してて、読み返すこともあまりできなくなって(恥じらいがあって)いて、ほとんど衝動で書いて上げてってしてるんですけど、
すごくすきな文章を書く幾人かのかたの文章を読むにつけ、
私は私の文章がどんどんと嫌いになってゆくし、
私は私の中途半端さにほとほとあきれるんでした。
どうしたらこういう言葉が出るんだろうってほんとにおもうし、
どんなふうに生きたらこういう景色をみられるんだろうとか、
おもえば苦しい。
書くことがすきでずっと続けてきた趣味でほとんどたぶん唯一のストレス発散方法で、
でもなんか、なんかなあとも思うのだ。
二次元にかぎらず。
もっと色々読んだり聴いたりみたりしないとだめだなって、でもどんなに色々を読んだり聴いたりみたりしたって書けないものは書けないんだなってことも理解していて、たぶんこれが私の限界なのでした。
所詮は凡人。

んでも二次創作においては自分が楽しみたくて、書きたくて書いてるからこういう趣味があってよかったなあと思う。それは心から思う。

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9月なので

9月だし影菅の季節…ってことで。
pixivに影山と菅原のお話を上げました。サイトにもこれと、前書いていたたけうかと影菅をひとつずつ。
【HQ!!】夏の終わり【影山(→)菅原】
影菅…というにはどうにも、異和のある話しになってしまって、書きながら、そして書いたあと自分で読み直してみて、とんでもなく死にたくなりました。影山が菅原さんに片想いをしたまま成長して、菅原さんはたぶんそれに気づきながら、けれどくちにはせず関係も持たず、それぞれの路にすすんでる。何かそういう話に、いつの間にかなっていて、元々そういうのを書こうとは思っていたんですが、予想以上につらくなってびっくりした。
やっぱりできてる二人のが私はすきです。もっとあほっぽくて幸せなのが書きたい。9月だし。




余談ですが、中.村 中さんの「こ.こに.いる.よ」という6月発売のシングルを先日ようやっと購入して、聴いて、
それをベースにして書きたくなったおはなしでした。
どうしようもない感傷で精神がぐちゃぐちゃになっていて、時間は流れてゆくしみんな老いてゆくし、それでもそれぞれの生き方があって生活があって、たぶんそれが人生なのかなとか。
生きているのだから、色々なことに胸を痛めながら、それでも生きるほかないんですよ。大人になってゆく姿をみつめて老いてゆく背中を眺めて。
そういうことを悶々と考えていた最近だったので、そんな時期にこの曲を聴けてよかったと思いました。

10月に地元でライヴがあって、1年ぶりにあえるのが今からとてもたのしみで、
たぶんまた胸を焦がすのでしょう。痛めるのでしょう。

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ありがとう

時間があいてしまいましたがたけうかを書いたのでpixivに載っけてみました。
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女々しい烏養くんさん。たけうかすきです。



ぴっしぶとiphoneのべんりさ手軽さが否定できず…これもまた成長ですかね。よくも悪くも。むかしあったはずのかたくなさはいったいどこに行ってしまったのかしら。すこしさびしい気持ちもします。


先日、一泊二日で北海道は函館に行ってきました。函館、よいところでした。日差し強かった!仙台から新幹線で新青森にゆき、そっから青函トンネル通って函館まで。片道4時間。距離526.2km。10年ぶりくらいでした。


函館山からの夜景をみた。2日間ずっと晴天で、夜も空気が澄んでいて遠くまで見渡せた。私は雨女だからうれしかった。降りる直前になって霧が出てきて、どんだけ運がよかったのだろうと。

言葉にならない諸々が押し寄せてくる。私一人こんな贅沢しててよいのかな?とか、私がたのしんでもいいのかな?こんな美味しいごはんを食べていいのかな?そういったこと想うと罪悪感が湧いてきて、ふいに消えたくもなった。帰りの電車の中でちょっとだけ泣けた。帰ったら小説を書きたいと思った。いっぱい色々考えた。写真をたくさん撮った。美味しいものを食べたしきれいなものをみた。そういったものをしるすのに日記では、ぜんぜんほんとうじゃない気がした。小説ってたぶんこういう時のためにあるんだ。私一人で満足できればそれでいーや。もうそれでいいよ。

さいきんの私は、ああもう若くはないのだわ、ということをとみに感じて、
ぞっとしたりある部分ではほっともしていたり、
ゆるやかに年をとっていっているなあ、これがきっと人生なのだなあと、
もうおばあちゃんだから夜10時にはねむくなって朝5時には起きるし、3食を一汁一菜でしっかり食べ、死なないために健康を気にかけながら、
生きてる。
死なないために生きているために、生きてる、その不思議さ。
ヘルシー。いいじゃん。椎名林檎もヘルシーがいいってゆってた。
幸せだな~と思う。さびしいけれど一人だけれど、どうせ一生一人なので一人で何とかしてくしかないので、
今はとても幸せ。煙草も吸えて音楽も聴けてコーヒーが飲めて。なんかもうそれで、いい。

またどっか遠出したいですね。

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