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水とタバコ

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深夜高速

フラワーカンパニーズの「深夜高速 」を聴きながらiphoneのカメラロールを眺めていたらどうしょうもなくせつなく、くるしくなってしまった。
2015年の桜、初夏の海、2016年の七夕祭り。
カメラロールには2014年~きょうまでの諸々がおさまっていて、5800枚くらいあって、どうでもよいものから忘れたくないものまで。
ちゃんと現像してノートにでもまとめればよいのでしょうか。
2015年と2016年にさよならできないいつまでもずっとずっとずっと引きずってるいつまでもいつまでもいつまでも。


深夜高速 / フラワーカンパニーズ

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ハル

いったいいつからこのブログを書いているんだろうと思って遡ってみれば2011年とかそこらだった。ろくねんまえ。ろ、6年前…?となったけれど、あれから私はずいぶんと年をとり、疲弊し、消耗し、色々を失ってきたように思う。読む本の量も観る映画の量もぐっと減って、生活に追われて日々を過ごすのに精いっぱいでその間に家賃や光熱費などの生活を維持するための金を払い、何とか細々と生きて、生きて、生きて、この先のことをぼんやりと考えたりもする。そのあいだにあったたくさんの良いこと楽しかったことを心のなかに仕舞いこんで後生大事に抱えて、そうやってこれからも生きてくんだろうなあと思う。春なので、もう世の中すっかり春なので、私の精神はぶっ壊れてしまった。それでもけさは何とかかんとか9時に起きて、朝ごはんにうどんを食べて、午前の受付終了間際の病院に駆け込み、やらねばならない用事を済ませ、買い物をして、帰ってきて、貴重な休みの昼下がりにこんな記事を書いている。私はいったいいつまでこんなことを書いて一人の時間をやり過ごすのだ?と思いつつ、やっぱりこうゆう時間がまだまだ必要なようだった。

人が来るので久しぶりにへやの掃除をした。12月に引っ越してきてからまともに掃除をしていないへや、とても人を上げられるような空間ではないけれど、せめて、といったていで埃を落として掃除機をかけて、洗濯をした。掃除機をかけながら、狭いへやは阿呆ほどものに溢れていて、すぐに厭になってしまう。こんなにものは要らない。と、つくづく思った。
いつからか、どうせいつか死ぬんだからと思って生きるようになり、ものを持つことに消極的になっていた。それでも生活していればものは増える。その、増えていく、という過程が吐き気がするほど厭で厭で、たまらなくて、溜まっていくことがストレスで、どんどんどんどん棄てたくなった。もう、何もかも必要のないものに思えて、どうせいつか死ぬんだからもう何も要らないな、ぎゃくに何が必要なのかなと思うようになっていった。本やCDや映画のDVD、人から頂いたたいせつなもの、などは思い入れがあるために手離すことはできないけれど、それ以外のものはもう要らなかった。引っ越しの際にずいぶんと棄てたり売ったりしたのに、へやには、まだまだ要らないものが溢れている。私は苛々してくる。ごみ袋に要らないものを突っ込んでいく。かつてたいせつと思っていた色々が、その途端にごみに変わる。一抹のさびしさとせつなさで胸が痛む。けれど残しておくことで私の感じるストレスや妙な異和感を思えば、瑣末なことのように思えた。人はいつか死ぬから。いつかはぜんぶ終わるから。そう思うと、憑き物が落ちるようにすとんっと心がらくになる。薄情かもしれない。後何年生きるつもりだとも思う。それでも棄てる・手離すという行為をやめられそうもなかった。春は人を狂わせる。春の陽気に精神が殺されてべそべそに泣きながらpcに向かっている。何のためなのかわからない記事を書いて、すこしでも気を紛らわせようとしている。春はうつくしい。春はおそろしい。私はまだことしの桜もみていない。

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『リリイ・シュシュのすべて』――岩井俊二

精神がぐっちゃぐちゃなのに、昨夜は久しぶりに『リリイ・シュシュのすべて』を観ていた。ブクログを遡れば初見は2010年ということで(さだかではない)、約7年前。ハイティーンの頃だった。あの頃は毎日死にたすぎて、そんな頃に観たものだから再び観るのがすこしおそろしくもあったのだけど、どうゆうわけか無性に観たくなって、お休みの前日にレンタルビデオ屋に行って借りてきた。
世間さまで何億回もゆわれていることだけれど映像のうつくしさ、役者が役者の顔をしているところ、脚本がないんではないかと思うほどのリアルな科白まわし小林武史の音楽salyuの歌声、すべてにおいて完璧で最高だった。最高。おたくはすぐ最高というから困った生き物だと思う。
十代前半の痛みをあれだけ緻密にていねいに描ききった邦画って中々ないんじゃないか。最高。心臓がぎゅっと収縮してからだが痺れてきて映像を眺める以外に出来ることがなくなる。
そういえば初見時はとにかくつらくて、つらくてつらくてつらくて仕方がなくって、たぶんもう二度と観られない、観たくない、と思ったことを思いだした。私はあの頃の痛みを思いだすのがこわかったのだ。だから7年ものあいだ視界に入ってもそっと目を逸らしていた。とにかく痛くて痛くてしようがなかった。

誕生日を迎えて、もうだいぶいい歳、になってしまった。ほんとうはこんなことをしている場合ではないのだと知ってるわかってる、でも映画はまだまだたくさん観たいし漫画も小説もいっぱい読みたいし音楽を聴きたい。いい歳なんだからもうやめろと言われてもこればっかりはやめたくないしやめたら私はいよいよなんにもなくなってしまう。だからやめない。痛い女なので、それは重々承知しているので、もう治らないのだこの病は。


けさ起きたらからだが鉛のように重く、起き上がることができなかった。仕事を休んだ。その罪悪感でさらにベッドから出られず、ぐずぐずと寝て一日を過ごした。夕がたになってようやくベッドから這い出て、今、これを書いている。自分がどんどん、駄目人間になってきているのを感じつつ、お腹が空いたのでごはんを食べ、まだ生きながらえようとしていることにうんざりとする。死にたいと思っても人間は空腹を我慢することはむつかしいのだとよくわかる。これを書きながら、何を書きたいのかがよくわからなくもなっている。私はこれを書くことで自分の駄目人間っぷりを記録しているだけで、何の益にもならない。春はこれだからこまる。うつくしい季節は死を連想させる。『リリイ・シュシュのすべて』をはじめて観た当時のつよいつよい死への希求はいつの間にか薄れて、ぼんやりとした輪郭のふちどる幻想みたいな“死”を想っている。これはただの逃避であり、現実的な具体的な死からは年々遠のいていく。私はあしたは仕事に行き、しっかり8時間の労働をして、ちょっと残業をして、車を運転して帰ってくる。そっちのほうがよっぽど現実的で、具体的だ。それ以外のことがらはいつしか私から離れて、あの頃の爆発的なエネルギーはたぶんもう、ない。
それはかなしいことかもしれないし、さびしいことかもしれないし、救いが一つ消えたことと同義なのかもしれない。
生きてかなきゃならないという意思は真綿で首を絞められるようなもので、私は実際に今とても息苦しい。それでも生きてかなきゃならない。くるしいねぇつらいねぇって言いながらそれでも、毎日を積み重ねてかなきゃならない。

あしたは仕事に行きます。

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大丈夫いつかはぜんぶ終わるから

サイトのほうに柄丑「幸せになるってこと。」「群青」を引っ張ってきてみました。紙媒体には出来ないからせめて表紙に見えるような感じに遊んでみた…やはりこうゆう作業はたのしい。たとい一人遊びだとしても。

柄丑のこと考えすぎて精神に異常を来たしつつあるのけっこうつらい。生まれ変われるのなら若かりし頃、まだそんなにお金がなかった頃の柄丑が同棲していたアパート六畳一間(非公式)の地縛霊になって柄丑が生活するのを天井あたりから眺めていたい。夜の営みもしっかりとだ。

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愛々

今月、また一つ年をとります。
年食ってよかったなあと思うのは、心が死なないための自衛策を考え実行できるようになったこと。私の場合、こだわりすぎない・嫌いな人やものには極力近づかない・自分の限界を知る、など。とりわけ嫌いな人やものに近づかない、は、これまでほんとうにできなくてくるしい思いばかりしていたので、その点は今はすごく楽。若かったんだなあと思います。嫌いな人やものに心が殺されるのはあまりにもかなしいし可哀そう。自分のこと可哀そうって思えるようになったことは私にとっての大きな成長。

人間だれしも生きているから、生きている限り疵つきつづけるから、
何でもないような顔して生きてる人も当り前のように毎日毎日なにかしらに疵つけられているから、
私はその疵を悪いものとは思わないしむしろ愛おしいものに思います。
心がまだ死んでない証拠ではないかしら。疵つかなくなったら心は死にます。


3/26にライヴがあって、私は取れなかったチケットを心優しきかたからお譲り頂けることになり、
あまりのことに動揺を隠しきれない。まさか、そんな。ありがとうインターネット、ありがとう。
年とる前にあの人に逢える、しかも私の大すきな箱で。前回その箱で観たのは2015の10月でした。あれから一年半。もうそんなに経つんだなあ。当時の私、開演早々べそべそに泣きじゃくって、twitterにそのことを書かれてしまい、たいそう恥ずかしく、けれどとてもとても嬉しかった。あの人と目があった、笑いかけてくれた、信じられないこと。でもぜんぶ現実。嬉しいです。すなおに。

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