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水とタバコ

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ラブ、

おことばを頂くと、いつも、嬉しさと感激と恐縮で心が震えます。私のような人間の書いたものが、どなたかの心に多少なり何かを残せたのかなあ、もしそうだとしたら、とんでもなく嬉しい。
いつも、嬉しい、ありがとうございます、以外にことばを見つけられなくて、心苦しいのですけど、
それ以上のことばをやはり私は知らないので、ばかみたいに嬉しい、ありがとうございますをくりかえすのです。すみません。ほんとうにほんとうに嬉しかった。泣きました。
おへんじを、させて頂きました。もしも届いていないということがありましたら、またご一報ください。
ほんとうにどうもありがとうございました!

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更新というか何というか

ちょっと、どうしようかなとも思ったんですけど、
pixivのほうに以前ブログで書いていた柄丑を上げてみました。
すこし修正もしましたが内容はおなじです。上げ直す意味とは。

すっかりインプットもアウトプットも下手糞になっちまって、一人で呻いてます。書きたいのに、書けない…怖い…まっ白なメモ帳をまえにぼんやりしてしまう……
驚くほど遅筆なんですけど書きたい柄丑何万通りもあるので、
ゆっくり昇華していければなあと思ってます。

いつもここを見てくださって、ほんとうにありがとうございます…

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アイ、ラブユーフォーエバー

愛してるんですよといえば、冗談、とあなたは笑うんだろうか。5月だというのにうす寒い朝、外は春の雨が降って僕は部屋で一人ぼっちなんです、せつじつな人のせつじつな歌をずっとずっと聴いています。

私の何もかもは勝手なので、勝手でも何でも想うだけなら自由だからきれいだからゆるしてほしい。時に想いの丈を吐き出したくてばかみたいに長い長いおたよりを書いてしまったりしてその都度猛省するんだけど、衝動は抑えが利かないからおそろしい。愛してるんですよといえば、冗談、と笑われてしまうような内容の、でもこちらとしては本気の想いをこめての長い長いラブ・レター。

まいにちまいにち働いて家賃光熱費税金その他の生活を維持するための金を払い、それでもって命をあしたに繋いで繋いで繋いで繋いで、津村記久子の「ポトスライムの舟」での一文をふと思いだす。“維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが、生活を維持して。”
生活の中にかすかな潤いを求めておとこのこ同士のらぶを見たり書いたりしているけれど、生活と生活の隙間で垣間見る彼らはどうしたっていとおしいし幸せになってくれ、頼む、といった気持ちで心からそれを願っていて、私は、ほんとうにいつまでもこんな調子なのかな?と思ったりもする。思考の片っ隅で生活のことを考えながら8割くらいはそんなことでいっぱいいっぱいいっぱいいっぱい、正直それ以外のことは考えたくなかったりもするのだけれどそうはいかないから生きるのがくるしい。

仕事どうしようかなあとか諸々の税金高いなあとか、だんだん、それなりに、年相応の思考に変わってはきたけれど、根本的にはいつまでも変われないまま誰かに何かに片想いしてる。
あなたが今どこにいるのかもわからないし何をしてるのかも断片的にしか知れないのがとてもさびしい。
正直私はぜんぜん何もできてやいないしまるで立派でもないし生活は廃れているし地味だし何一つとしてなし遂げられていなくて、生きてることが恥ずかしいんだけど、ずっとずっと永遠に片想いしていますので、これはずっとなので、なぜだか、忘れられずにいるんです。

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柄丑がすべての光すぎてもはや何がただしい現実なのかわからない。生活といういわゆる現実に彼らが食いこみすぎて彼らを掴みたくて掴みたくて手探りをしている。むしろ私の生きているこちらのほうが幻想/夢の世界なのじゃないか?と思いながらの生活。くるしいしつらいし不安でいっぱいの胸は毎日毎日バクバクといって、呼吸ができなくなるような足もとがおぼつかないようなそんな焦燥。
5/3に17時間だけ東京にいて、トーキョー、なるほどねって思ったことたくさんある。空気、電車の音、路地裏、高層ビルの隙間から覘くうす水色の空、様々な人たち、古い喫茶店、金色、茶色、灰色、すべてトーキョーの気配。みんながトーキョーに憧れを抱くのがよくわかる、なるほどね。あれだけの刺激があるまちにいれば地方は、なるほどたしかにまるで物足りない。過去に東京で暮らしてたことがあったけれどあの当時の私もたしかに東京というまちに何かしらの期待を抱いていた。けっきょくは何もできずに戻ってきて、今は地方で生活をしていて、ふとした時に当時のことを懐かしむだけの日々。あの頃のことは正直あまり思いだしたくはない。楽しかったけれど、無力感ばかり感じてたので。

話が逸れた。
東京のまち、そこかしこに柄丑の気配を感じた。あの道路を渡ったかもしれないしあのコンビニに入ったかもしれないしあのコインパーキングに車を停めたかもしれない。かなしい妄想なのは重々承知しているんだけど彼らが、あのまちのどこかで生きて息づいている気がしてならなくて、私はその都度立ち止まる。あのまちのどこかで、あのまちのどこかで、あのまちのどこかできっと彼らは生きて、生活しているのだなあ、としみじみ思い、同時に、けっしてすれ違わないのだという現実に胸がすうーっと痛む。彼はどこかで生きているけれど、どこにもいない。

去年の春頃、丑嶋馨さんが現実にいないという事実がかなしすぎてわあわあ泣いたことがあったけれど、あの感覚がようやく落ち着いたと思ったのに、上京したおかげでまたぶり返して、地元に戻ってきてからの焦燥がひどくて軽い鬱に陥り、もう無理な状態で生きてる。
“生きててよかった”ってフラワーカンパニーズが「深夜高速」でうたっているのを聴きながらこれを書いているのだけど、生きててよかったって思うのと同時に、この状態で生きてくの…?ほんとうに…?どう足掻いても彼らは現実にはいないのに…?という思いがせめぎあって精神がめちゃくちゃ。

かなしいのであんまり考えないようにしたい。先日買ったご本をへやに飾った。表紙が見えるようにして本棚に、ぎゅうぎゅうなので次の休みにはちゃんと体裁をととのえてスペースをこしらえたいななどと考えている。あのご本たちは家宝、死んだ時に棺桶に入れて頂きたい。同人誌っていいな、イベントに行かれる機会がなかったからあんまり買ったことがなかったけれど、やっぱり愛の物質を、手もとに置いておかれるというのは素晴らしい。


柄丑の朝が見たい。彼らの朝はどんなんだろう。たとえばおなじベッドで眠って先に起きるのはきっと馨さんのほう、馨さんチの寝室は八畳くらいの洋室でベッドはセミダブルで、体格のよい男二人がねむるにはすこし狭いけれど身を寄せ合ってねむれば狭さは、さほど気にならない。先に起きた馨さんはまずカーテンをほそく開けて空のようすをみて、彼は晴れだろうが曇りだろうがどうだってよいんだけど雨だったらすこし眉を顰める。雨の日の運転は億劫なので。それから振り返ってベッドの上でまぬけな顔でねむる貴明さんをみやって、なんともいえない気持ちになる。せつないような胸のすくような思い、でもらしくないので見て見ぬふりをする。抱きあって寝て起きれば彼はいつものウシジマくんに戻るので、みょうな感傷や不安感にさいなまれたりしてはいけない。貴明さんを置いて彼はへやを出る。キッチンで珈琲を淹れて、そのあいだにベランダに出て煙草を吸うかもしれない。空はうす灰色の雲がかかって、そのあわいから淡い光が落ちてる。時間はまだ早い。ベッドにいても構わないくらいの早朝の時間帯、貴明さんが起きてくるまであと一時間くらいはかかる。

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5/3、トーキョー

ビッグサイトに生まれて初めて行ったおたくの日記です。


5/3のスパコミは夢のような時間だった。直前まで行けるかどうか(仕事的な意味で)わからず、職場との悶着も収まらず、すったもんだあって精神はめちゃくちゃ、だったんだけど、4月の終わりにとうとつに休みが取れることになり、それからはもう、違う意味で気持ちがたいへん。
(ちょう)一方的に大すきなかたと会えるんだあ~という期待に夜もろくに眠れず、かといって消耗するわけでもなくむしろ信じられないほど元気に生活ができていたこと、体力のない私にとり驚くべきこと。そのくらい楽しみで楽しみで楽しみで、始発の新幹線で東京まで。ちなみに新幹線のチケットを買った時にはもう指定席は満席で自由席だったんだけど何ら問題はなかった。っていうか指定席か自由席かなんてどうでもよくないか? 這ってでも行くんだから。

前回行ったのは去年の2月のライヴの時だったから、一年ぶりくらいに東京に来た。五連休の初日、東京駅は人でごった返していて、すでに東京のにおいがした。人並みに揉まれながら改札を抜け、山手線のホームに出た。ビルとビルのあいまからうす曇りの空が見えた。東京の空。
おたくのくせに生まれて初めてビッグサイトに行った。これまで機会はあっても勇気がなく、赴くことができなかった。イベントは、行けて地元のイベントくらいだった。国際展示場駅で降りた時、否、りんかい線の電車の中からすでにイベントの気配が漂っていて、私はすでに圧倒されていた。右も左もみんな、何かしら書く人たちなんだ~と思うと、なんだかすごいような、信じられないような、そんな気持ち。
人人人の波に押されながら会場まで歩き、気持ちはすでに高揚していて、心臓は早鐘を打っていて、列に並んでからも落ち着かず30分ほど突っ立って開場を待った。10時になって動き始めた列にまた流されながら巨大な建物の中に入った。
ビッグサイトの内部に足を踏み入れたのもとうぜん初めてで、数秒間は入場したことにすら気づかなかった。ここはどこだみたいな気持ちで、それでもおぼつかない足取りでスペースに向かった。

闇金、っていうか柄丑のお話をたくさんして頂いた。
死ぬほどほしかったご本を手に取った時、思わずぎゅっと抱きしめたくなった。実際、ご本を入れたトートバッグをその後だいじにだいじに抱きしめながら自宅にお持ち帰りした。

終電で家に帰ったら、朝と何も変わらない状態ですべてがそこにあって、何だか不思議な気持ちで、化粧を落として布団にもぐりこんだ。17時間で人はこれだけのことができるのかと思った。何も変わらない、何も変わっていない、台所のコンロに置きっぱなしのフライパンも流しに洗い上げていた片手鍋も。さっきまでトーキョーにいたのに、不思議。
寝て起きたら朝になっていて、それでもテーブルの上にはきのうの残り香、ご本と頂いたお菓子たち。テレビもコンポも換気扇もすべて消してまったくの無音の状態でお持ち帰りしたご本たちのページをめくった。どこを開いても柄丑が出てくる、柄丑がいる、そこに、生きている。きのうさせて頂いたお話の余韻もからだの深部にしっかりと残っていて、それが内側で響いている。全身がじいんと痺れるようで、ちからが抜けるようで、現実感がないのに今はちゃんと現実。往来は祝日の静かな朝。午後になれば私は実家に帰る。

BLはファンタジーっていうかSF(すこし、ふしぎ)っていうかそういうのなんだろうけど、柄丑はほんとうにほんとうにほんとうに、現実にいる気がする。この世のどこかで息づいて生きている気がする。たぶんきっとどこかで。そういう気持ちにさせるちからがある。つよい。

イベント、死ぬほど楽しかったからまた行きたいし、せっかくなら自分でも何かしらを出したいと思いました。2日あれば日帰りで行って戻れるってのもわかったので。

幸福すぎて、死。

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