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水とタバコ

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柄丑がすべての光すぎてもはや何がただしい現実なのかわからない。生活といういわゆる現実に彼らが食いこみすぎて彼らを掴みたくて掴みたくて手探りをしている。むしろ私の生きているこちらのほうが幻想/夢の世界なのじゃないか?と思いながらの生活。くるしいしつらいし不安でいっぱいの胸は毎日毎日バクバクといって、呼吸ができなくなるような足もとがおぼつかないようなそんな焦燥。
5/3に17時間だけ東京にいて、トーキョー、なるほどねって思ったことたくさんある。空気、電車の音、路地裏、高層ビルの隙間から覘くうす水色の空、様々な人たち、古い喫茶店、金色、茶色、灰色、すべてトーキョーの気配。みんながトーキョーに憧れを抱くのがよくわかる、なるほどね。あれだけの刺激があるまちにいれば地方は、なるほどたしかにまるで物足りない。過去に東京で暮らしてたことがあったけれどあの当時の私もたしかに東京というまちに何かしらの期待を抱いていた。けっきょくは何もできずに戻ってきて、今は地方で生活をしていて、ふとした時に当時のことを懐かしむだけの日々。あの頃のことは正直あまり思いだしたくはない。楽しかったけれど、無力感ばかり感じてたので。

話が逸れた。
東京のまち、そこかしこに柄丑の気配を感じた。あの道路を渡ったかもしれないしあのコンビニに入ったかもしれないしあのコインパーキングに車を停めたかもしれない。かなしい妄想なのは重々承知しているんだけど彼らが、あのまちのどこかで生きて息づいている気がしてならなくて、私はその都度立ち止まる。あのまちのどこかで、あのまちのどこかで、あのまちのどこかできっと彼らは生きて、生活しているのだなあ、としみじみ思い、同時に、けっしてすれ違わないのだという現実に胸がすうーっと痛む。彼はどこかで生きているけれど、どこにもいない。

去年の春頃、丑嶋馨さんが現実にいないという事実がかなしすぎてわあわあ泣いたことがあったけれど、あの感覚がようやく落ち着いたと思ったのに、上京したおかげでまたぶり返して、地元に戻ってきてからの焦燥がひどくて軽い鬱に陥り、もう無理な状態で生きてる。
“生きててよかった”ってフラワーカンパニーズが「深夜高速」でうたっているのを聴きながらこれを書いているのだけど、生きててよかったって思うのと同時に、この状態で生きてくの…?ほんとうに…?どう足掻いても彼らは現実にはいないのに…?という思いがせめぎあって精神がめちゃくちゃ。

かなしいのであんまり考えないようにしたい。先日買ったご本をへやに飾った。表紙が見えるようにして本棚に、ぎゅうぎゅうなので次の休みにはちゃんと体裁をととのえてスペースをこしらえたいななどと考えている。あのご本たちは家宝、死んだ時に棺桶に入れて頂きたい。同人誌っていいな、イベントに行かれる機会がなかったからあんまり買ったことがなかったけれど、やっぱり愛の物質を、手もとに置いておかれるというのは素晴らしい。


柄丑の朝が見たい。彼らの朝はどんなんだろう。たとえばおなじベッドで眠って先に起きるのはきっと馨さんのほう、馨さんチの寝室は八畳くらいの洋室でベッドはセミダブルで、体格のよい男二人がねむるにはすこし狭いけれど身を寄せ合ってねむれば狭さは、さほど気にならない。先に起きた馨さんはまずカーテンをほそく開けて空のようすをみて、彼は晴れだろうが曇りだろうがどうだってよいんだけど雨だったらすこし眉を顰める。雨の日の運転は億劫なので。それから振り返ってベッドの上でまぬけな顔でねむる貴明さんをみやって、なんともいえない気持ちになる。せつないような胸のすくような思い、でもらしくないので見て見ぬふりをする。抱きあって寝て起きれば彼はいつものウシジマくんに戻るので、みょうな感傷や不安感にさいなまれたりしてはいけない。貴明さんを置いて彼はへやを出る。キッチンで珈琲を淹れて、そのあいだにベランダに出て煙草を吸うかもしれない。空はうす灰色の雲がかかって、そのあわいから淡い光が落ちてる。時間はまだ早い。ベッドにいても構わないくらいの早朝の時間帯、貴明さんが起きてくるまであと一時間くらいはかかる。

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