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水とタバコ

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M.C

若い頃にすきだった(いまも、)人の文を久しぶりに読んで、せつなくてかなしくて泣いてしまった。私あの子になりたかったなと思っていた人の文、あいかわらず切実で飾りけがなくてそのくせ耽美で、とてもよかった。私が若かった頃、あの子もおなじく若くて、切り取られた世界を狂ったように見つめてた。そのまなざしがすきで、そのまなざしがとてもすきよ、と私はよく言ったものだった。今、あの子がどこで何をしているのかをインターネット越しにすこしだけ、知った気になって、それでも手を伸ばすことはできないのだろうなあと思う。私には私の生活が、あの子にはあの子の生活が、それぞれあって、いつかいつか交わることを心の遠くで願いながら、でもそのいつかなんてたぶんきっと来ないのよな。
私がもっと健康で容姿のよい人間であればよかった。そうすれば胸を張って今すぐ電車に飛び乗るわ。洒落た服なんて一着も持ってねぇけど、逢うためならいっしょうけんめいお洒落するからよ。

文はいいなあ。私あの子の書く文が、変わらずずっとすきだなあ。
元気でやってるか、寒くはないか。そんなことを知るすべがインターネットだけなんて、
なんだかちょっとさびしいなあ。

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思ってくれているのに、おなじつよさで思えなくてごめんねと思う瞬間が生きていると間々、ある。

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ときめきに死ね

生きている意味を考えなくなってから、生きていくことが格段にらくになったな。
若い頃のヒロトがなんかのインタビューで「今は楽しい」ってぽつんと言っていたのを時々ふと思いだして、その声音が、ほんとうにこぼれ落とすみたいな調子でいうのが愛しくて、
そのたびにほんのちょっとだけ泣く。

あの時に考えていた生きている意味とやらが、今どこにあるのかももう私にはわからない。

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花火の音だけ聞きながら

『花火の音だけ聞きながら』いがらしみきお著(双葉社)


いがらしみきお著『花火の音だけ聞きながら』を読みました。
『ぼのぼの』をはじめ、『I』などはすきで読んでいたのですが、きちんとした活字でこの人の文章を読む機会ってなかったから、どきどきしながら読みました。
ひと様の文章を、やたらめった引用するのはどうなのかしらと思いつつ、
どうしてもここ、ここだけ、書きのこしておきたかった。著者が、生活がルーチン化していることについての展開。


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「第16回 狭くなる世界」 より

そんな暮らしをしていておもしろいのかというと、楽です。「楽」は「楽しい」に通じますが、楽しいのかと言われれば、すこし楽しいような気もします。もう毎日がおもしろくなくてもいいのかもしれない。楽であれば。

(中略)
もう、なにもおもしろくなくてもいいのか。それとも、単におもしろいものがなくなっただけなのか。これはどちらとも言えます。おもしろいものはもう十分見た気持ちがあるし、うまいものも結構食べた感があるので、もっとおもしろいもの、もっとうまいものがあると言われても、たぶん行かないでしょう。

(中略)
みなさんはどうですか。おもしろいことって少なくなりましたか? いやいや、おもしろいことなんか、まだまだたくさん残っている? それはそれでうらやましいというか。たいへんですね。
おもしろいことはたいへんです。それを作るのも、楽しむのも。なにを言ってるんだろうな、オレは。

(中略)
我々はたぶん歳をとりたいのです。若いのがイヤになったのです。若いといろいろやらなければいけない。夢を持てとか、大志を抱けとか、おもしろいことをやれとか、おもしろいものを探せとか。さっき言いましたけど、おもしろいことは、やるのも、やられるのも、疲れます。おもしろいのはいいけど、それよりみんな楽な方がいいのでは。それはケチな考えでしょうか。楽じゃないから、楽な方がいいと言ってるのに。
(p109~113)
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読んだ時、うわーーーっと泣きたいような、喚きたいような、でも頭の中が空洞になってやたらと冷静に鎮まるような、ふしぎなかんじがして、
でもやっぱり泣きたくて、すこしだけ泣きました。
そうか、とだけ思いました。なんだかそれくらいしかことばが出なかった。
私はもう、無理しておもしろがらなくたっていいのか、と思った。それは明るい絶望という表現がいちばん近い。明るい絶望とはかつて鬼束ちひろが復帰後初のインタビューで使ってた表現ですが、私はよくよくその表現を借ります。明るい絶望。これぞまさしく。
たびたび明るく絶望することはあるんですけど、今回もまたそうだった。
そうか。
そうか~~~。

全編通してよかったのですが、終盤に向かうにつれ、いがらし先生の感じてる世の中の異和とか、生活にたいする揺れ、みたいのが伝わってきて、でもけっして読むほうを不安にさせないユーモアが組まれていてじつに秀逸だった。
人の思想とか哲学というものは、生きてきた時間が堆積させるものなんだなということをあらためて思い知る。いがらし先生が61年間生きて、積み重ねてきた色々を知れる一端でした。

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