ガーネット Category:murmur Date:2018年08月25日 さいきん平成版009のDVDをみなおしていて、ぐっ…とくるものがあったので、何を思ったか6年前の文章をpixivに上げてみました。ろくねんまえ… よろしければ。 ガーネット CP要素はありません。 そしてすみません、メールフォームを解約していたのにそのままにしており、送った際にエラー画面が出るようになっておりました…。もし、万が一、送ってくださっていたかたがいらっしゃいましたら、申し訳ございませんでした。 その代わりというか、連絡手段としてweb拍手を設置してみました。なにかございましたらそちらのフォームをご利用ください。 重ね重ねになりますが、申し訳ございませんでした。 ここに遊びにきてくださるかたがた、ほんとうにありがとうございます。 とてもとてもうれしいです。 もしよろしければ、また遊びにいらしてください。 PR
無題 Category:murmur Date:2018年08月02日 はるか昔に借りて放置していたレンタルサーバを解除して、ブログやらサイトやらを消しました。記憶が薄れて消しきれていないものもあるけれど。 十年以上この界隈にいて、pcも買い替えてないのでお気に入りもファイルもめっちゃくちゃです。 すこし、すっきりしました。気持ちも。 書くことから離れていたのですがさいきんまた文と向き合えるようになりました。twitterなどでぽろぽろこぼしています。あいかわらずオタクなので…。 一次創作のサイトも消して、今後は紙媒体などで外に出せたらなあと思っています。 文を書く、という行為はたのしいし、喜びなので、どういうかたちであれつづけてゆけたらな、と思っています。 書けるとうれしいし書けないとひどく、さみしい。
〆 Category:murmur Date:2017年11月02日 ほ~むぺ~じを弄りました。流行り(?)のtransitionタグの意味がちょっとわかったのでうれしかった。あまり活かされてない感もあるけれど。 pixivに上げてた万紬も持ってきましたが、じぶんの中の万紬と書きたい万紬の齟齬が出てきたのでもしかしたら下げるかもしれません…書きたいもの、ほんとうに書けない。 大昔に書いていた、もうどこからもリンクの貼っていないブログに、未だにアクセスがあって、うれしくて、動かそうかなと思ったけれどログが2010とかで、 過去ログを非公開にするのも難儀だったので、あれは、もうそっとしておこうという結論に至りました。 どなただろう見てくださってるの。ここもご存知なのかしら。 サイトというものに依存して10年近く経っているので、その間、あちこちにリンクを貼ったり剥がしたりしていてもうどこからのものなのかまったく把握できてないっていう…。 個人サイトなんて、存在する意義がなくなってきている昨今ですが、 まだもうすこしだけ、こういう場所で遊んでいたいなと思ってる次第です。 処でタンブラーってどうなんでしょう。ブログと何かちがうのか。スタイリッシュで恰好いいなと思っていちど登録はしたのですが、使い方がいまいちわからなくて放置してます。どうなんだろうタンブラーのほうがいいの…? 時代からどんどん遠ざかっていっているきがしないでもない。私は一人でちいさくなっているのが性に合ってるとは思うんだけど、ちいさくなっているあいだに周囲の肥大化はすすむし取り残されてる感は否めないね。 10月は本をたくさん読みました。ほとんど再読と漫画だけど、活字もすこし。 脳みそに栄養が足りてない。水やりのつもりで、すこしずつ。
- Category:murmur Date:2017年10月17日 人が一人いなくなった日の朝、空っぽの頭で煙草に火をつけ思いきり吸いこめば、濁った煙と秋の冷たい空気が混ざり合いながら肺を満たしていった。この触覚を知っている、たしか一年前もこんなふうに、手持無沙汰な態で煙草を吸っていた。頭の上では換気扇のカラカラ、という渇いた音が響き、生活をするために必要なものもので溢れた台所をより無味なものに変える。そう一年前も今とおなじ、あれから何一つとして変わっていない。何となく、泣けるかな、と思ったけれど、涙は、ついぞ出てこず、ただ静かに瞼を閉じれば、届いたメールの文面が、ちらちらとまなうらに浮びあがって心を冷たくさせる。それだけだった。人が一人いなくなったというのに、ほんとうにただそれだけだった。 やっと巡ってきた休日の朝、道路を行きかう車の音がときおり、リビングの窓から聞こえてくるだけの静謐でひとりきりの朝だ。ジ、と煙草の先端が燃えて、赤い光を放つのを、黙って見つめている。空白で埋め尽くされた頭には何の思考も浮かんでこず、漠然とした不安と、虚無が拡がるばかりで、でもそれが一つの思考なのかもしれない、と思いなおせばすこしばかり安堵した。 百均で買った灰皿に灰を落とし、人差し指と中指で挟んだ煙草をくちもとに寄せると、メンソールの青くさい匂いが鼻をつく。81番、一つ。コンビニで告げたことばが蘇る。470円です。年齢確認をお願いします。中年の店員が機械的に、的確な動作でパッケージを寄越した。値上がりしたんすね。10円、上がりました。そうですか。……。煙草も高くなった。いずれほんとうに一箱1000円になるのかもしれない。その時、私は、けれどいつもと変わらず煙草を求めるのだろう。染みついた習慣を変えることは、如何せんむつかしいことだから。人が一人いなくなった日も、いつもと変わらず煙草に火をつけ、換気扇のカラカラ、という音を聞きながら煙を吸って吐き、をくりかえすように、これまで通り一本23.5円の葉っぱに火を点す。窓の外を行きかう車がそれぞれ職場なり家庭なりに向かうのとおなじ熱量で。 深く息を吸う。自分の呼吸のリズムをたしかめる。心臓は、もういい加減に聞き飽きた音を胸のうちで奏でている。これが止まる時、けれど世界はいつもと変わらず朝を迎える。私が今、煙草を吸っているように、窓の外の道路を車が通り過ぎていくように。 何も変わらない日常が、脈々と続いていくだけが世界であるから。