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水とタバコ

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人が一人いなくなった日の朝、空っぽの頭で煙草に火をつけ思いきり吸いこめば、濁った煙と秋の冷たい空気が混ざり合いながら肺を満たしていった。この触覚を知っている、たしか一年前もこんなふうに、手持無沙汰な態で煙草を吸っていた。頭の上では換気扇のカラカラ、という渇いた音が響き、生活をするために必要なものもので溢れた台所をより無味なものに変える。そう一年前も今とおなじ、あれから何一つとして変わっていない。何となく、泣けるかな、と思ったけれど、涙は、ついぞ出てこず、ただ静かに瞼を閉じれば、届いたメールの文面が、ちらちらとまなうらに浮びあがって心を冷たくさせる。それだけだった。人が一人いなくなったというのに、ほんとうにただそれだけだった。
 やっと巡ってきた休日の朝、道路を行きかう車の音がときおり、リビングの窓から聞こえてくるだけの静謐でひとりきりの朝だ。ジ、と煙草の先端が燃えて、赤い光を放つのを、黙って見つめている。空白で埋め尽くされた頭には何の思考も浮かんでこず、漠然とした不安と、虚無が拡がるばかりで、でもそれが一つの思考なのかもしれない、と思いなおせばすこしばかり安堵した。
 百均で買った灰皿に灰を落とし、人差し指と中指で挟んだ煙草をくちもとに寄せると、メンソールの青くさい匂いが鼻をつく。81番、一つ。コンビニで告げたことばが蘇る。470円です。年齢確認をお願いします。中年の店員が機械的に、的確な動作でパッケージを寄越した。値上がりしたんすね。10円、上がりました。そうですか。……。煙草も高くなった。いずれほんとうに一箱1000円になるのかもしれない。その時、私は、けれどいつもと変わらず煙草を求めるのだろう。染みついた習慣を変えることは、如何せんむつかしいことだから。人が一人いなくなった日も、いつもと変わらず煙草に火をつけ、換気扇のカラカラ、という音を聞きながら煙を吸って吐き、をくりかえすように、これまで通り一本23.5円の葉っぱに火を点す。窓の外を行きかう車がそれぞれ職場なり家庭なりに向かうのとおなじ熱量で。
 深く息を吸う。自分の呼吸のリズムをたしかめる。心臓は、もういい加減に聞き飽きた音を胸のうちで奏でている。これが止まる時、けれど世界はいつもと変わらず朝を迎える。私が今、煙草を吸っているように、窓の外の道路を車が通り過ぎていくように。
 何も変わらない日常が、脈々と続いていくだけが世界であるから。

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