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水とタバコ

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かなしくてやりきれない

漠然としたかなしみで胸が潰れそう。といいつつ頭はあしたも生きることを考えてる。かなしみがなければ何も考えることができない、私はかなしみという感情に感謝している。かなしみを感じた時が私はいちばん 生きてる ってことを実感する。それ以外の感情はかなしみが存在してこそ存在するのだと思う。かなしみがすべてのみなもと、かなしみがすべてを連れてくる。とはいえこれからの人生においてずっとかなしみがつきまとうと思うと多少うんざりするな、それでもかなしみがなければ喜びもないから、私は生きてはいけないから。

かなしいもさびしいもむなしいも厭わないから、最終的にはぜったいに幸せなラストを望む。絶対的に幸福で抗いようもない、暴力にちかい幸せを望む。誰にも邪魔されない、壊せない、ハッピーエンドを望む。

幸せになる以外に人生に復讐するすべがないな。

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ぴよぴよ

夏だし、夏なので、影菅について考えてる。私にしてはめずらしくちまちまちまちま長めの文章を書いてる。書いて る……終わるのかこれ。今月中には、どうにか。

起きてから寝るまでずっとおとこのこたちのらぶについて考えてる。平和な頭だ。

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風に吹かれて



史上最高の風に吹かれて。

太陽がじりじりと照って、すっかり夏なんですね。可愛いおとこのこたちがクーラーの効いていない部屋で汗まみれになって何となくキッスをしてそのままぐだぐだとセックスにもつれこんでしまいすべてを暑さのせいにする時期がことしも来たな。

若い頃は漠然と、二十代半ばくらいには死んでるだろうとか思っていたけれど、
なんか、知らんけど生きてて、ふつうに生活してることが笑える。人生なんてこんなもの!
すきなものがあって、すきな人たちがいて、お金はないけれど、そこそこに幸せである。
私はまだまだ幸せである。そしてたぶんにこれからも幸せに生きていける。生きていける。生きていけます。

A3!にふつうにハマってて、幸ちゃん~~~~~とか言ってて、あの、ごめんなさい…という気持ちです。幸ちゃん……
次の記事あたりでぽちぽち書いてた幸ちゃんのSSを上げるかもしれません…かもしれません…ううう
6月下旬からまた体調崩してしまいあれだったのですけど、
生活は落ち着いてきてはいるので、もっと頻繁に書きに来れたらいいなとは思っています。
サイト文化の復活をせつじつに願っている。

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6月

ありがとうここを見ててくれて。私はたぶんあなたのためにここを更新しつづけている。
クソどうでもいい手記です。



はやく結婚して何もかもぜんぶ終わりにしたい気持ちと、まだしばらく(あるいは、ずっと)このままでいたい気持ちとがせめぎ合って悶えている。相手はいない。
さいきんの私は、まるでだめで、仕事に一生懸命になれなくて、もちろんそれなりに頑張ってはいるけれど、目のまえのものごとをただこなすだけで、やっと夜になれば、私なんて所詮はこの程度なんだなあという焦燥を抱えて、へやで一人でぼんやりとしている。本を読んだり音楽を聴いたりインターネットをしたりして、以前とおなじように。
咳をしても、ひとり。

穏やかに年をとっていきたいと思う。思いわずらうことなくすきなことをしてすきなように時間を過ごしていきたいと思う。いつまでこの生活をつづけられるかわからないし、もしかしたらポンッと音を立てて生活のすべてが突然変わるかもしれない。先が見えない。人生の落ちが読めない。わからないことだらけの日々、それが人生なのかもしれないけれど。


本を読む、という行為のリハビリに、さらっとした作品を読みたくて、
綿矢りさ『しょうがの味は熱い』を読んだ。
同棲しているカップルが結婚する/しないのはざまで揺れ動くという地味な物語なのだけれど、
一見地味に見えてそのじつちゃんと綿矢りさが綿矢りさであったことに感動した。
あの人の書くものに含まれている微量な毒、引き合いに出すつもりはないけれど、金原ひとみのそれとはまたぜんぜん違った趣があり私はすきだ(金原もすき)(この、すき、は、なんというか質量のまるで違う“すき”)。
どうしてもこの二人って並べて評されるところがあるし、私もふと金原のことを思いだしたりもしてしまったのだけど、それは置いておいて『しょうがの味は熱い』に含まれている毒性をひしひしと感じて胸が詰まった。
柳美里の『ねこのおうち』もようやく読了。今は村上春樹『ノルウェイの森(上)』を読んでいる。村上春樹、『スプートニクスの恋人』しか読んだことがなくて、でも大崎善生的なちょっと気障でナルシシズムを感じるものを読みたくて、何となく手にとってみた。『スプートニクス~』を読んだ時、色々な意味でショックが大きくて気持ちが悪くなり、寝こんだ憶えがある(マジです)。それがトラウマで読めなかったんだけど、年を食った今、ある程度は落ち着いて読めるのではないかと思ったのだった。

若い頃はそれこそ、一冊の本を読めば一冊分が脳みその栄養になってくれたんだけど、
さいきんはそうたやすくもいかなくなった。
しかし読書したり音楽を聴いたり映画を観たりすることのだいじさはわかっているつもりなので、
どうにかこうにかつづけていきたいね。

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