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水とタバコ

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『リリイ・シュシュのすべて』――岩井俊二

精神がぐっちゃぐちゃなのに、昨夜は久しぶりに『リリイ・シュシュのすべて』を観ていた。ブクログを遡れば初見は2010年ということで(さだかではない)、約7年前。ハイティーンの頃だった。あの頃は毎日死にたすぎて、そんな頃に観たものだから再び観るのがすこしおそろしくもあったのだけど、どうゆうわけか無性に観たくなって、お休みの前日にレンタルビデオ屋に行って借りてきた。
世間さまで何億回もゆわれていることだけれど映像のうつくしさ、役者が役者の顔をしているところ、脚本がないんではないかと思うほどのリアルな科白まわし小林武史の音楽salyuの歌声、すべてにおいて完璧で最高だった。最高。おたくはすぐ最高というから困った生き物だと思う。
十代前半の痛みをあれだけ緻密にていねいに描ききった邦画って中々ないんじゃないか。最高。心臓がぎゅっと収縮してからだが痺れてきて映像を眺める以外に出来ることがなくなる。
そういえば初見時はとにかくつらくて、つらくてつらくてつらくて仕方がなくって、たぶんもう二度と観られない、観たくない、と思ったことを思いだした。私はあの頃の痛みを思いだすのがこわかったのだ。だから7年ものあいだ視界に入ってもそっと目を逸らしていた。とにかく痛くて痛くてしようがなかった。

誕生日を迎えて、もうだいぶいい歳、になってしまった。ほんとうはこんなことをしている場合ではないのだと知ってるわかってる、でも映画はまだまだたくさん観たいし漫画も小説もいっぱい読みたいし音楽を聴きたい。いい歳なんだからもうやめろと言われてもこればっかりはやめたくないしやめたら私はいよいよなんにもなくなってしまう。だからやめない。痛い女なので、それは重々承知しているので、もう治らないのだこの病は。


けさ起きたらからだが鉛のように重く、起き上がることができなかった。仕事を休んだ。その罪悪感でさらにベッドから出られず、ぐずぐずと寝て一日を過ごした。夕がたになってようやくベッドから這い出て、今、これを書いている。自分がどんどん、駄目人間になってきているのを感じつつ、お腹が空いたのでごはんを食べ、まだ生きながらえようとしていることにうんざりとする。死にたいと思っても人間は空腹を我慢することはむつかしいのだとよくわかる。これを書きながら、何を書きたいのかがよくわからなくもなっている。私はこれを書くことで自分の駄目人間っぷりを記録しているだけで、何の益にもならない。春はこれだからこまる。うつくしい季節は死を連想させる。『リリイ・シュシュのすべて』をはじめて観た当時のつよいつよい死への希求はいつの間にか薄れて、ぼんやりとした輪郭のふちどる幻想みたいな“死”を想っている。これはただの逃避であり、現実的な具体的な死からは年々遠のいていく。私はあしたは仕事に行き、しっかり8時間の労働をして、ちょっと残業をして、車を運転して帰ってくる。そっちのほうがよっぽど現実的で、具体的だ。それ以外のことがらはいつしか私から離れて、あの頃の爆発的なエネルギーはたぶんもう、ない。
それはかなしいことかもしれないし、さびしいことかもしれないし、救いが一つ消えたことと同義なのかもしれない。
生きてかなきゃならないという意思は真綿で首を絞められるようなもので、私は実際に今とても息苦しい。それでも生きてかなきゃならない。くるしいねぇつらいねぇって言いながらそれでも、毎日を積み重ねてかなきゃならない。

あしたは仕事に行きます。

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