リメンバー・ユー Category:log Date:2015年01月17日 きみはここにいるべきとおもう。 PC(とてもとても古いモデル)の中で、くりかえしくりかえし流される映像と音の間隙に、きみが呟いたのを聞いた。ひどくちいさな声で、ささやくようなヴォリウムで、それはまるでひとりごとのようで僕は耳が痛くなった。原因不明の耳鳴りがもう、二ヶ月ほどつづいていて、くわえて肩凝りと頭痛もひどかった。音をやめて、と、朝日に満ちたへやの中で僕は懇願したけれど彼はそれに応じなかった。耳を僕にひらいていなかった。彼の瞳はPCの、あの四角い箱の中で動き回る彼と彼とに集中され、僕の存在など、ないようだったのだ。 きみはここにいるべきと、ぼくはおもうよ。 重いからだを引きずりながら淹れた渋いコーヒーをちびちびと飲む僕に、彼はまた、そう言った。 右に左に動くふたつの影、薄暗いステージ、差したふたすじの光。スモッグ。熱と血脈とを音に感じる。 動きをやめている人間などそこにはいなく、誰もが腕を振り頭を揺らし、音にまみれて音に抱かれていた。 こういう場所でしか生きられない人間がいることを、僕も、彼も、彼も彼も、知っている。僕らは孤独で、けっしてわかりあうことなどできなかったけれど、こういう場所に集うことでそのなぐさめを互いにし合い、赦し、甘え、依存し、そうして社会の外れにかろうじてぶら下がる許可を得た。それで、“きみはここにいるべきと、ぼくはおもうよ。”なのだ。 そうなんだろうと僕はおもう。たいして美味くもないコーヒーを唇に含ませるうち、映像が終わり、彼は再生ボタンをクリックする。最初に引き戻される映像。便利な世の中だ。「世界中探したって、こんな人はもうどこにいないだろう」 そうだねぇ、と僕はいう。へんに間延びした声で、けれどそこに切実さをこめて。 彼がふりむく。がらんどうのような瞳に朝日が反射してその一瞬に、光が宿る。彼のその瞳を、僕はすきだなとおもう。その瞳がぼくに向けられることはまずないのだけれど、そうとわかってしまう自分の頭の冷静さを今は呪った。「起きた?」「起きた」「なら、ぼくはねむるよ」 そうして映像を残し、僕とはいれかわりに彼はベッドに横になる。今の今まで僕の寝ていた場所は、僕のかたちにへこんでいて、それは彼より幾分かおおきい。そのくぼみにすっぽりと入ってしまう彼のからだは、ひどく薄い。 取り残されたへやで、リピート再生される映像ばかりがやかましく音を鳴らしつづけ、僕は漠然とひとりを感じる。彼の規則ただしい呼吸。その呼吸がまっとうであることを心細く感じる。いっそう止まるなり、不文律を奏でるなりをしてくれれば、僕はそれらしく介抱をしてやれるのだろうに、あいにくと彼はいたって健康体だ。「きみはここにいるべきと、僕はおもうよ」 彼を見、映像をながめ、僕は呟く。質量を増した光が僕を濡らす。リメンバー・ユー。つたない英語の発音を舌に載せ、僕はPCの蓋を閉じた。・ さいきんはハイロウズばかり聴いてます。 PR
トイレ(洋式)にて臨死体験 Category:log Date:2014年12月21日 どうしても一人なような気がした。どうしても一人なような気がしてしかたがなくて「わあっ」と叫んで胃の中のものを吐き出したくって咄嗟に咽に指を押しこんだ。雑に切られた爪はいびつな半月のかたちをしていて先端は、わずかにざらついていて、(私はやすりを掛けるということをしないので、)咽の奥の粘膜を引っ掻き疵をつける。咽の奥の粘膜と口蓋の切り疵が痛く、ひどく痛く、胃の中のものは消化されつつあって酸っぱい味がした。どこもかしこも酸っぱかったり痛かったりで内側は、ひりひりとしてたまらなかった。生理的な涙がマスカラを付けた睫毛をシャドウを乗せた瞼を濡らし溶かし私の顔をけっして美しくない顔をますます醜いものに変える。トイレの底の水に黄色と茶色とほのかな赤の混ざった液体が点々と浮かぶ。わずかな隙間に顔が映る。醜い顔が映る。醜い顔を私は醜いと思う。醜いと思う私を醜いと思う。吐きたい叫びたい泣きたい。あらゆる感情が毛穴から沸き上がり私の内側から表面に噴出する。設置されたヒータがスキニーパンツに包まれたくるぶしを、まるで焼くかのようにあたためている。唇に触れた涙と鼻水がしょっぱかった。咽奥からこみ上げる胃液が酸っぱかった。どうしても一人なような気がした。視線を上げる。狭いトイレのちいさな窓辺に、蛍光灯の光を受けとめた硝子のコップが一つ置かれている。どうしても一人なような気がした。どうしても一人なような気がしてしかたがなくて、中途半端にあたためられたトイレの床に尻を押しつけて、「わあっ」とちいさく叫んで私は硝子のコップをみあげて泣いた。
ドーナツ食べたい Category:log Date:2014年10月20日 落ちる先を見失った影菅(でも上げちゃう)xxx ――なんか、ドーナツ。食べたいかも。 菅原さんがそう言ったので、部活のない日ようの朝、わざわざ電車に乗って、街中にあるドーナツ屋に行くことになった。唐突だった。 薄い陽差しでみたされた店内はぬくぬくとして、甘ったるい匂いにあふれていた。ショーウインドウに並んだいくつもの色をしたドーナツが、目に痛い。息をおおきく吸って、細く吐いて、すーげー甘い匂い、と、隣で菅原さんが言う。心なし弾んだ声音で、表情は、うれしそうに綻んでいる。それを見て、嬉しそうだな、と俺は思った。「こういうとこ、俺はじめて来ました」 正直に告白すると菅原さんはすこし驚いたように目をひらいて、嘘、とくちの中で呟いた。「来たこと、ないの」「はい」「へえ。いちども?」「……はい」 俺はすこし、恥ずかしくなって、思わず俯く。けれど菅原さんは納得したように「そうなんだ」と、やわらかな調子で、言った。「ああ、でも、そうかも」 おまえがドーナツとか、あんま、似合わないもんなあ。 そうして菅原さんは八重歯を覘かせてへらっと笑うのだった。頬に朝の光を受けて微笑むさまは、光のせいか、ひどくまぶしくて、真っすぐに見れなかった。「すんません」 何に対する謝罪なのかわからなかったけれど、そういう気持ちになって、謝れば、案の定彼は「なんで謝んだよぉ」と俺の頭を手のひらで雑に、撫でた。 あたたかで甘い匂いに満ちた店の、たっぷりの光の注ぐ窓際の席にふたり向かい合って坐る。先に買っておいでと言われ、買い方がわからないと首を振れば、彼はショーウインドウを指差した。「あそこで好きなのえらんで、会計すればいいんだよ」 教えられた通りに俺はトレイを持ってドーナツの群れの前に立った。世のなかにはこんなにも色々な種類の、色々な色をしてかたちをした食べ物があるのだなと、ばかみたいなことを思う。油を吸ってしみを作る薄い紙の上に並んだそれらは、見るからに甘そうで、胸焼けがしてくるようだった。どれが美味しいんですかと菅原さんに訊いたけれど、美味しそうだと思ったの食べてみればいいよと彼は笑うばかりで、しつこくは訊けなかった。 数分迷って、一般的なかたち――まるくて、まん中に穴のあいた――の茶色のものと、もこもことした丸のいくつもついた、きなこ味のものを一つずつトイレに乗せ、レジに置いた。「ふつうなの持ってきたな」 席に戻ると菅原さんはおかしそうに笑う。「何にすればいいか、わかんなくて」 財布に小銭を落としながら、俺は言い訳するみたいに言った。 菅原さんが席を立ち、ウインドウの前を右に行ったり左に行ったりするのを、硬い椅子に坐ってぼんやりと眺めた。 時間がまだはやいからなのか、店の中に客はすくなく、さわさわとした話し声が自分とは無関係の場所から漂ってくる。誰が何を話しているのかまったくわからないし、それはとても耳障りがよかった。「コーヒーとカフェオレ買ってきた」 トレイを持って戻ってきた菅原さんが、俺の前に、カフェオレの入ったカップをトンと置いた。あざす、と返事をすると、彼は咽の奥で笑って、「なんか影山のそれ、“あざす”ってヤツ、ここで聞くとほんとに似合わないな」 と、言った。「ラーメン屋とかさ、坂ノ下とかさ、そういうところでならわかるけど。こうゆう、ふわふわした場所で聞くと、なんかちょっと面白いな」 ふわふわした場所、というのがどういう意味かよくわからなかったけれど、言いたいことは伝わったので、たしかに、と俺も思った。 菅原さんのトレイには、白くこまかい粉がまぶされた、あいだにクリームの挟まったやつと、蜂蜜に塗られてらてらと輝くおおきめのドーナツが乗っていた。 コーヒーを両手にかかえて啜り、クリームの挟まったやつを菅原さんは三本の指でつまみ上げた。白い粉で指先が染まる。一口、齧る。ドーナツのかたちが歪む。唇が粉にまみれる。それを、赤い舌が器用そうに舐めとる。 そういった動作を黙って見つめていると、菅原さんは目を眇めて――たぶん、陽差しがまぶしいのだ――、食べないの影山、とたずねた。「食べないなら、俺食べちゃうよ」 そうして手を伸ばすので、俺は慌てて、自分の皿の茶色いドーナツをつまんで一口、齧った。表面がかりかりとして、生地はすこし硬くて、砂糖の味が舌の上に拡がる。甘い。けれど、食べられない甘さではなかった。「美味しい?」 瞳を覘きこむように彼が問う。はい、と正直に、首を縦に振った。「甘いっす」「そりゃ、ドーナツだから」「美味いっす」 そか、よかった、と彼は、満足げに微笑んで、コーヒーを飲み、ドーナツをまた一つ、齧った。 もったりとした生クリームが、俺は苦手だったけれど、菅原さんの食べる姿を見るとそれはひどく、美味しそうに見えてならなかった。彼がほんとうに美味しそうに、嬉しそうに食べるから、よいものに見えて仕方がなかった。「それ、美味しいんすか」 それで、そう訊いた。食べたいの? と彼は俺の目を見つめた。そうではないけれど、美味しそうだから。美味しいのかなと思って。そういうようなことをもごもごと、くちの中で呟くと、菅原さんは指先に残ったひとかけらを、俺のくちもとに近寄せた。「食べてみ。美味しいから」 ふわふわとした生地の、甘ったるそうな生クリームの、匂いが、鼻先を泳ぐ。一瞬だけ躊躇して、彼の目を見やって、それから、くちを開けてみる。前歯の先で生地を噛む。やわらかな感触が、あった。くちの中に放られたものを、奥歯で噛みしめ、飲みこめば、かけらは甘さを残してあっという間に消えてしまった。 美味しい、と、ごくちいさな声で、言う。 だろぉ? と、菅原さんはゆったりと微笑んでみせた。 指先についたクリームと白い粉を、彼は舌でぺろりと舐めた。甘さが、彼の舌に拡がってゆくのを想像する。「なんか今のやつ、菅原さんに似てますね」 ふいに閃いたことをくちして、すぐに、後悔した。我ながら意味のわからないことを言ってしまったと思った。ぽかんと目をまるくさせた菅原さんから逃れるみたいに、視線を手もとのドーナツに落とした。 皿に敷かれた薄紙に、油のしみと、光のまだら模様が浮かんでいた。「なにそれ。みためがってこと?」 ふふっ、と彼が、笑う。「いえ、なんか、なんとなく」 言われればたしかにみためも、そうかもしれなかった。ふわふわとして、もったりとしていて、黄色がかった白の生地。「なんとなく、似てるなって」 それだけ言って、誤魔化すみたいに残りのドーナツを頬張った。くちの中に生クリームの甘さが残っていて、それがなかなか消えないことが面白いと思った。 店に差す陽がだんだんと、つよくなっていく。甘い匂いがする。光そのものが甘いのかもしれない。息を吸う。息を吐く。 咽の奥に甘さを押しこむように、カフェオレの残りを飲み干した。
あんたへの愛を Category:log Date:2014年10月16日 遠くの人を、想って、泣くのは、みじめ。 それを知ってやめたのは、いつだったろう。 俺はもうそういうのに馴れてしまって、ふつうに生活をしていて、ひどく心もとない気もちでふわふわと、生きて、生きて、生きて、る。 遠くの人を想って、泣くのは、みじめだ。 薄っぺらなケイタイが、メールを受信する。あの人からのものだった。俺はあの人には、あの人にだけは嫌われたくなくって、あちらがすくなくとも、まだ俺のことをイヤになってないことに安心して、あまえて、寄り掛かって、こんな茶番をいつまでもいつまでも続けてる。今も。 俺の声なんかより、ケイタイは正確にことばを連ねてくれるから便利と思う。声を発しなくとも、ケイタイのボタンをカチカチカチと押せば、すきです、なんて、たやすく伝えられる。すきです。ためしに打ってみたそれを、すぐに恥ずかしくなって消した。一文字ずつ、打ったことばが、一文字ずつ、消える。はかない。 電波が運んだあの人のことばは、ぶっきらぼうで、飾り気などなくて、ひどくいとしかった。すきですと、それをみてやはり、思った。 ボタンを親指で潰すようにして、押して、不器用に、ことばを作ってゆく。一文字ずつ。それらはけっして声にはできないことばたちだ。 あなたのためにことばを選び、あなたのためにことばを作り、あなたのための何かを伝えようと躍起になって、親指はぶかっこうにからまわるし心はみっともなくみじめだ。 ちいさい画面がぼやけてふやけて、鼻の奥がツン、と痛んだ。 遠くの人を、あなたを想って、泣くのは、みじめだと思った。それでも想うことをやめるのはもっとみじめだと、わかった。そう理解できたから、想うことをやめるのは、もうできないと、知った。 俺のことばはきっと届かないだろう。伝わっても伝わらなくてもどうだってよいような、けれど今できうる限りの気もちをこめたレスポンスを、ケイタイの電波に乗せた。
天国への Category:log Date:2014年10月05日 影菅、大人、ヴァージョン、テイク・ツウ(あたり)*** 車内の空気はあたたかく停滞していた。軽い走行音に降り出した雨が絡まり、フロントガラスの向こう側が白く煙る。「見にくいな」 運転席で、菅原が呟いた。視線を投げれば、夜の闇の中に彼の曖昧な輪郭がぼんわりと浮かぶ。滑らな頬を対向車のヘッドライトが舐めるように照らした。いるはずなのに存在が非道くおぼろで、夢のようにさだかではない錯覚をしてしまうのは、このあたたかさのせいだと影山は知っていた。さらにいえばとても疲れていて、頭の芯がぼうっとしている。 ふたりきりでいられるこの時間が惜しく、すこしもねむりたくなどない。けれど、背筋を撫でる車の振動が心地好くて、今にも瞼が落ちてしまいそうだった。「……ねむい?」 耳朶を彼の声が掠めた。はっとして居住まいをただすと、菅原は笑って、「ねむいなら寝ていいのに」 と、言った。「……ねむいっすけど、」 寝たくないです。駄々を捏ねる子どものような科白だと、自覚すればみょうに照れくさい。あくびを噛み殺しながら窓枠に肘をついて、雨に濁る景色に視線を放った。 10月の雨はつめたく、静かに街をひやしていた。ひと雨ごとに冬が来る。地元にいた頃、この時期になると祖母がよく言っていた。ひと雨ごとに冬が来る。先人の、経験によって導き出された言葉の意味を、大人になってからようやく理解できた。9月の残暑はいったいどこに行ってしまったのだろうと不安になるほど、季節はどんどんと、冬に流れてゆく。 車のタイヤが道路を滑る音はしずかで、時折り水溜まりを踏む、かすかな音が聞こえる程度だった。ささやかに耳を撫でるような、けっして不快ではない音。 数メートル先の信号が黄色に変わり、瞬く間に赤になる。「雨の夜の運転て、苦手だ」 ブレーキをゆっくりと踏みながら菅原は言った。「最近、近眼ぽくなってきたし」。まだ眼鏡をかけるほどではないけれど、疲れてくると目が霞んでくるという。「すんません、やっぱ、俺も免許、とります」 思わずそう言えば、菅原はふきだした。「ちがうちがう、そういうことでなくて」「でも、いつも迎え来てもらって悪いじゃないすか」「や、それはぜんぜん。むしろ影山は免許なんてとんなくていい、ってか」 練習や遠征から帰るたび、菅原に駅まで迎えに来てもらうことに、影山は気兼ねしていた。出かける前に必ず、「帰る時連絡しろよ」と言いつけられ、その言葉を忠実に守っているうち、いつしかふたりのあいだの習慣になっていた。菅原の所有である軽自動車は、車にまるで詳しくない影山にも、中古の、その中でも特に安く古いものであるとわかった。修繕に修繕を重ね、何とか生きながらえているといった態で、けれどそのオンボロな具合がやけに落ち着くのもまた事実なのだった。「別に、要らないじゃん? 俺がいるし」「……はあ」 菅原のいう言葉の意味が飲みこめず、頓狂な返事をする。「俺がいるあいだはさ、俺が乗っけてってやっからさ、どこまでだって」「菅原さんいなくなったら俺、困ります」 青信号に変わり、車は再び夜の街を走り出す。菅原の指がラジオのスウィッチを押し、ざらついた電波に乗って低い音楽が流れ始めた。繊細そうなギターのイントロで、英語の歌詞であるその歌を影山は知らなかったけれど、今の車内の空気に非道くよく似合うと思った。「これ、うちのとーさんがよく聴いてたやつだ」 メロウな旋律と、ひきつるような中低音のヴォーカル。重たくてどこか息苦しささえ感じるのに、とろとろとしたねむりに引きこまれそうだった。「……着いたら起こすから、ねむってていいよ」 菅原の声が耳に落ちる。頭をシートに預け、からだをしずめてゆく。ギターの音が、ヴォーカルの声が、遠ざかってゆく。おやすみ、と彼がいうのを、閉じていく意識の片隅にひっかけた。 車内の空気はあたたかく停滞している。その中を這うような旋律が、夢のようにまぼろしのように、もつれて、溶けて、消える。 天国への階段 / Stairway to Heaven // Led Zeppelin