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水とタバコ

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(あるいは、あほらしいふたり。)

 ところがね、お母さま、たった一つあったの。おわかりにならないでしょう。他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。いかが?  ――太宰治『斜陽』



 あの子とのことを、秘密にするつもりはもうとうなかったけれど、堂々と公言してしまうのもおかしな気がして、なんとなく互いにくちをつぐんで、(まるで示し合わせたかのように)、きっと誰にもばれてない、そうだからこれは二人だけの秘密。

「……いいたい」
 夕闇の中、手探りをして影山の手をとった。秋のはいりくちの、涼やかな風が肌にまつわりついたみたいにひんやりとした手だ。触れるとかすかに強張って、それからそっと俺の手を握り返す。この子の動作は一つひとつが謙虚で、その躊躇いに微笑ましさを感じられて、自分がすこし、ちゃんとした大人になったような気分になる。
 え? と彼の視線がこちらに落ちるので、見つめ返してから、もういちど、「言いたい」と、はっきりとくちにした。
「なにを、っすか?」
「俺たちのこと」
 二人の前を、群れをなして歩く黒い背中に指を差した。
「俺たち、つき合ってること」
 途端、影山の瞳がにわかにまるくなる。
「だっ、だめです……!」
「なんで」
「なんで、て……」
 まるくなる瞳に反比例して尖る唇が可愛らしかった。
 この子とのことを、誰も知らない。ふだんいっしょにいる大地も、旭も、俺がそういうそぶりを見せないというだけでこの子との関係性をすこしも怪しんだりはしなかった。大地も、旭も、人の内側を無理に追及したりすることをこのまない性質だから。今だってほら、二人だけが集団を離れたすこし後ろのほうを、遅れて歩いていることに気がつかない。気がつかないけれど、もうすこししたら大地が振り返って、「あれ、スガは?」とか言い出すんだろうから、今、二人が二人きりでいられるこの時間は、あとほんの少し、だった。
「……なんでも、だめです」
「もうさー、いいんじゃない?」
「だめです、ぜったい。だめっす」
「恥ずかしいの?」
 ぼっ。と、影山の顔が赤くなる音が聞こえた、気がした。実際は夜に溶けて、顔色なんてちっともわからないのだけれど。
「……恥ずかしい、とかじゃなくて、」
「うん」
 とぎれとぎれに、影山は言葉を発する。ゆっくりと坂道をくだりながら、繋いだ手をぶらぶらとさせて、ほんとうはこの話題は、じつはどうだっていいと思っていることに気がつく。別段、言いたいとも言いたくないとも思っていない、ばれなければまあラッキー、ばれたらばれたでそれでもいい。けれどばれた時、影山がどういう反応を示すのかいまいち想像がつかなかった。
 青ざめたり、疵ついたような顔をしたり、するのだろうか。
 その影山を見て、俺もまた非道く疵つくのだと思う。それは想像するだにかなしく、歓迎できない未来だった。 それは、いやだな、と思った。
「知られたくない……」
 掠れた声で影山が言う。うん、と、曖昧な相槌を俺は打つ。
「……せっかく、秘密なのに」
 秘密、と俺はくちの中で反芻する。

「知られたくないんです。せっかく、秘密なのに。二人だけの秘密なのに」

 この子とのことを、秘密にしていたつもりはちっともなかった。そんなつもりはなかったし、そもそもこの子のくちから“秘密”という単語が発せられるなんてまるで想像していなかった。そういう概念がこの子の中に息づいているとは思わなかったのだ。
 それで、驚いてしまって、影山を見やると、彼は案の定目を伏せて、不貞腐れたように唇を尖らせていた。うわあ可愛い、と思った。
彼の唇は薄く、つめたく、けれど触れるとぽってりとした弾力を感じる。その感触が好きで、触れたいと思い、触れられたい、と思うのだ。
 く、と手を引く。わずかな躊躇いを肌ではなく空気に触覚する。落ちてきた唇を唇で受けとめる。
 やわらかい、すこしだけ湿った皮膚だった。
 さざなみのようなざわめきの中に、同級生の声を嗅ぎわける。彼らはこちらを見ていない。このキスの瞬間を知らない。それは不思議な快感だった。
 誰も見ていない、誰も知らない。

「 このことは秘密な 」

 硬直したままの影山が、もげそうな勢いで首を上下に振る。夜に溶けそうな髪の毛が、さらさらと頼りなく目の前で揺れる。
 そのさまを見て、ああほんとうに、このことが一生の秘密であればいいのに、と俺は思った。一生、誰にも知られず、誰にも見られず、二人だけの秘密であればいいのに。
 繋いだ手のあたたかさも、夜に隠れてのキスも、誰にも知られなければいいのに。

 スガ、影山! 大地の声がする。いつの間にか、前を歩くみんなと二人のあいだには大きな開きができていて、遠くの街燈に黒い背中がぼやけていた。
 見えていない、知られていない。そのことがみょうに嬉しくて、淡い昂奮さえおぼえる。
 繋いだ手をほどく。する、と音もなく、何の抵抗もなく離れていく。手のひらに流れこむ風がつめたい。
「行こう」
 影山が頷くのを確認してから、俺は右脚を前に出した。

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こんなにばかげた日常を、おまえは愛してくれるのか


×××


 あの人からたばこの匂いがする。あんまり好きではない匂いだ。好きではない匂いだけれど、あの人のことを愛してしまってから多少のそういう都合の悪いことなんてどうでもよくなって、好きではない匂いすら好きになってしまいそうで、それはなんだかすげえ怖い、とか思いつつも、やっぱりあの人のことが好きなので、こうして抱きついて深くふかく呼吸なんかをしてしまうのだ。
「たばこくさいべ」
 と、頭の上であの人が笑うのを振動で感じる。少し黙ってから、くさいっす、と俺は正直にこたえる。息をするように自然な動きであの人の手が俺の頭のてっぺんに触れた。
 大きくてあたたかな手のひらだった。
 あの人が俺より2つ年上で、そのぶん俺より2年はやく大人になるのを、俺は未だによく理解できないまま、ただただ好きです好きです愛してます好きですほんとうに、愛してるんですをくりかえして、ばかみたいに何度も何度もくりかえして、そうして今もまだこうして二人でいっしょにいる。狭いベランダに続く窓のふちにあぐらをかきながら、腰に抱きつく俺の頭を撫でて、あの人の横顔はまるで大人のものだった。大人の男のものだった。
「飛雄の頭はむかしっから変わんないな」
 笑いを含んだ声が届いて、目を上げる。夏の終わりの、すこし弱くなった逆光が彼の髪を透かしてきらきらときれいだった。
「アタマ」
 意味がわからず首を傾げると、「頭のかたち」と訂正された。頭のかたちなんて意識したことがなかった。彼の手のひらが俺の頭を撫で、そのたびに俺はぞくぞくとして、軽く彼の服の裾を握るけれど、そんなのには気づかないのか気づいていない真似(フリ)をしているだけなのか、まるで無視して、何かを探るみたいにひたすら手のひらを動かすのだった。
 犬とか、猫とかの、動物になった気分だった。
「飛雄の頭のかたち、俺すき」
 なんといったらいいのかわからない。なんといったらいいのかわからないけれど、あの人の声は幸せそうで、耳に落ちると非道くこそばゆい。
 ふいに涙が出そうになって、綴じた瞼を彼の腰におしあてた。シャツから甘い匂いがする。それにまじってかすかにたばこの匂い。
「孝支さん」
 彼のからだははんぶんがベランダに、外に、出ていた。それ以上そちらに行かれるのをとめたくて、ほとんど縋るみたいに俺は彼の腰を抱きしめた。
「もうベランダでたばこ吸わないでください」
 こちらに背を向けて、窓をぴしゃりと閉めて、たばこを吸う彼の後ろ姿を見ているのは、なんとなく厭だった。たばこより、たばこの匂いより、厭だった。
 まるで「お前とは何の関係もない」といわれている気持ちになって、かなしくなるのだった。
「……だめだよ」
「だめじゃないです」
 吸うなら部屋で、俺の側で吸ってください。そういう意味をこめて彼の瞳をみつめる。彼はあきらかに困った顔をしていた。彼を困らせていると胸がざわついた。けれど言いたかった、しかたがなかった。
「だめじゃないです」
 彼がたばこを吸うたかが5分か6分、そのたかが5分か6分のあいだに俺が感じる、へんな緊張感とさびしさを表現できるほど俺は言葉を知らなかった。ばかみたいに「だめじゃないです」とくりかえす。この人にいう、好きです愛してます愛してるんですと、おんなじ頼りなさで。
 彼の指が頭を、髪の毛を、撫でる。俺のほうが大きいけれど、俺のよりずっと大人なかたちをしている指を感じる。俺より2年、色んなことを知ってる手。
「おまえはまだ子どもだから、だめ」
 彼の目が、俺を見下ろして、それがあんまり優しい色をしていたから、俺は何も言えなくなった。
 くちを尖らせると、彼の指がそっと降りてきて唇でとまった。唇の、薄い部分に指先のかたちを感じる。思わず、舌を出してそれを舐めた。しょっぱい味がした。それから、ほんの少しだけ、たばこの匂い。
「なにより、スポーツマンの前でたばこなんか吸えないべ?」
「……孝支さんだってスポーツマンじゃないっすか」
 彼は何も言わなかった。くちもとに薄く笑みを浮かべて、じっと俺の瞳を覗いていた。
 むかしよりすこし瘠せた気がする、白い指。甘く噛むと、しょっぱさに交じってほんのりとした苦味を舌に感じた。
 その味が、どういうわけかとてもとてもせつなかった。


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*

青春への感傷を抱きすぎている。あの子にもあの子にもあの子にも。
好きな人なんてたくさんいるのに、きみを愛していると言う以外にそれを伝える術がない。

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