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水とタバコ

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何やっても

足りないばっかで厭になるなあ。

相変わらず、承認欲求の満たし方が根暗だなあとは思うんだけど、思うんだけどそれ以外の術がみあたらないわからない。


仕事で、書いてっていわれて書いた文章(ほもでない)を、上司がいたくお気に召してくれたようで、よかった。うれしかった。
私って文章書くのがすきなんだなあって思った。

ものを書くという行為に浸りすぎてそれが日常のものになりすぎて、もうこういう手段でしか他人とのコミュニケーションがとれないのかもしれないなと思う。私が自分の中で唯一、他人に晒してまだ恥ずかしくない、人並みだろうと思われるツールが「ものを書く」ことなのだった。それしかないのだった。だからちょっと甘い言葉をかけてもらったり持ち上げられたりすると、もうとんでもなく自惚れてしまう。またそうやって、自分のこと信じてみたいのね、とも思うけど。

私には生まれ持ったものなどまるでないのです。誰かの何かを読んだり、観たり、聴いたりして、みっともないくらいに必死こいてそれらをかき集めて、呑みこんで、濾過して、どうにかこうにか自分のものにするしかないのです。それ以外にやりようがないのです。
いつだって隣の芝生が青かったり、自分のことが理解できなさすぎて信じられなかったり、してるけど、
けれどもものを書くっていう一点においては、きっと好きなんだろうって疑いもなく思えるのがうれしかった。

こんな一人遊びがもうずっと、たのしくて仕方がないのだからどうしようもない。もうだいぶいいとし、なのに、一生ひとりでこんなことばっかしてる気がする。

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,but not over.

またジャンルぶっ飛んでて申し訳ないのですが、ぴっしぶにさいぼーぐ009のお話を上げてみました。
everlasting is(not) over.
気が済んだら下げます。

きのうふと、あ~リヒの誕生日だ~と思ったのです。よく憶えてたな私、しかもそれ平ゼロの(あとづけ)設定でしょうに。結局1日遅れましたが…9月19日はハインリヒさんのお誕生日です。キャラのお誕生日とか祝う人じゃないんだけど、なんというかほうぼうにすまない。



恥じをしのんでまた痛いこと書いてみます。

何年か前にこっこのガーネットという曲を聴いて、しんみりとつらくなったことがありました。あんまり、曲聴いて、その曲以外の何かしらに当て嵌めて~とかが好きじゃない(曲を作品としてみたいから)人なんだけど、
ガーネットを聴いた時、さいぼーぐのあの人らに「終わりがない」と感じてしまったんですね。こんなこと書いて痛すぎる…ってのは自覚してんだけど、まあ元が痛い人間なので、いいや。
んで「ガーネット」ってタイトルで2と9のお話を書いて、けどどーにもすきになれなくてお蔵入りして。
けれど「終わりがない」ということを踏まえた彼らのお話をまたちゃんと書いてみたくなって、リヒのお誕生日だって思いだしたこともあって、ああなりました。
サイボーグは年をとらない、一生死ねないし終わらない、ループみたいに続いていくってことが、私の勝手な解釈なんだけど、ふとそう思ってしまったことが、
ゾッとするくらいこわくて絶望さえ感じる。そしてとてもかなしかった。

彼らのお話、リヒさんのお誕生日話なんか、むかしにあほほど書いて、中身なんてたいして変わらないだいたいジョーと(なぜかいつもジョーとふたりだ)会話してコーヒー飲んで「お誕生日おめでとう」って言って言われて祝われてってな話を、毎年毎年(ほとんど意地で、)書いてて、
手を換え品を換え毎年毎年。
そんな私もループみたいだな~と思うしとてもこわい。終わりがない、先なんてない。
リヒさんはこの人は、いつまで30歳のお誕生日をこうしてネタにされるのかな。いつまで続くのこの茶番。
そんなことを数年ぶりに考えたので、なつかしくもあって、書いてみたくなった。

009なんて、平ゼロももう10年近く前の話だし、もう何も書けない(書き尽くされた)と思っていたのに、
書けるもんなんですね。びっくりした。でもたぶんもう書けない。
平ゼロがだいすきすぎて、よくもまああんだけ原作を尊重しながら完璧に現代風に再構築したものだ…作画も演出も脚本も完璧。そういったものごとにさほど通じてない人間にもあの面白さは伝わってくるから、すげーなーって思う。

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ごご・ごじ

もうすごいすきなかたに想いの丈をぶちまけてみたら、なんとか伝わったようで、うれしかった。
5年ほど頭のかたすみに存在していたのだからすごいことだな、そのあいだにすこしも消えずに残っていてくれていたこと、信じられなくて、ああなんだか、生きててヨカッタ。

あらゆる人への すきです を伝えるのがむずかしくて、ばかみたいに すきです をくりかえしてしまうので、もう すきです がインフレ起こしそうでこわい。けれど すきです の価値って私は無限と思うからやっぱり すきです をきょうもまた重ねるのだ。
すきです、私あなたがすきです。あなたが何を思おうとも。ごめんなさい、ありがとう僕も愛してる。


お腹が空いたあって思って美味しいごはんを食べたいなと思って何かしら作るなりして食べられるのがうれしくて、
ダイエットもいいけれど、食事って生活の基本だし愛情の具現。何でももりもり美味しく食べる人ってすごい、すごい好きになってしまう。こないだのあにきゅがとってもよかったんだ、原作のあのシーンだいすきなだけに、ほんとによくて、
日向影山の箸の取り方持ち方に感動した。動くってすごいね。
うかいさんの「ちゃんとした飯を食え」の教育方針(?)がいいなあとはずっと思ってて、きゅっ子のプロフィルに好物があったりするのも、食べることをだいじにしてるんだなと思えてすごくよかった。あー炊き込みごはん食いたいしめじと鮭、さつま芋なんかも入れて、根菜たっぷりのみそ汁を添えて。

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頭だけはよくて知識もあって、理解力も、理不尽を納得してぜんぶのみこめる能力も、ものわかりもよくて、そういう人間だからあらゆるものごとの板挟みになって誰の味方にもなれなくて、

ぐるじみ

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車中泊でした。嘘です。でもすごくきれいに晴れてたからって浮かれて作って持ってったおにぎりはしおけがなくてあんま美味しくなかった。セブンのコーヒーは安いけど美味い。
車中泊じゃなくていいけどそういう影菅はずっと書きたくて、書きたくて書きたくて、書きたいんだけど、書いてるんだけど、
菅さんて車とかぜんぜん興味なさそうだし運転なんかはたぶん雑なんだろうよと思います。なんだか私は、
車とか運転が好きな人を無条件に好きになってしまうところがあるので、彼もそうであってほしいんだけど、
たぶん…そうじゃないんじゃないか…べつに…好きでも嫌いでもない…んじゃない……
彼にとって生活するうえでの手段の一つでしかないし、宮城は車社会なので高校卒業の年にまあとっとくかーって免許(AT普免)取る、もうそんなかんじでいいです。
とびおちゃんは免許なんか必要としなくていいです。

しかしあのふたりが将来どこに棲むのかけんとうもつかない。バレー選手の拠点てどこ。東京?


私も(また)引っ越ししないといけない(らしい)のですがあたりまえに何も手につかなくて、
何かに妥協は必要、ってことは今のこれが妥協の一つじゃない…?もうこれでよくない…?とかなんとかかんとか、もうこれでいいような気がしてきた…おおお、億劫だ…金もない…いってしまった…面倒だとか億劫だとか金がないとか、私の生活の中でいちばん言いたくない言葉なのに、だめだ、言わざるを得ない……
お金がないのはとても不安です。

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