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水とタバコ

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ハル


春の匂いがします。懐かしい匂いです。

一人でいるのにも限界があって、気丈に、一人きりで生きられれば身軽でこれ幸いだけれど、人間なので、人間だから、温かさにはかなわずに泣けてきます。優しくてさびしい人に弱くて、そういう人が幸せであればよいと思う。あわよくば誰の何もかもがうまくゆけばよいと思う。それはもう心から思う。今は空気公団とくるりを聴いています。

先日、久しぶりに友だちと会いました。数箇月ぶりに2連休をもらったので、ふたりで仙台を歩きまわってあれこれ語りました。私はいちおうは地元民のくせに、地元のことを何も知らないでこの23年間生きてきてしまったんだなあということを改めて思い知り、だめですね、もっと外に出てゆかなくちゃ。つっても生まれは仙台ではなく仙台のベッドタウンなんですけど。それでも学生時代、ちょっと電車に乗って仙台の街中に出るなんてしてこなかったしそんな楽しみ知らなかった。城下町を歩いたことも、お山をせっせせっせと登ったことも。
世の中にはなんてうつくしいものがあるんだ! と思った。

なんというか私は、今までほんとうに、なんにもしてこなかったんだなということを、
間もなく24歳にもなるくせに今さら、ほんとうに今さら、思い知って、
とてもとても恥ずかしくて、
いたたまれなくなった。
いったい、私は23年間、何をしていたんでしょうね。

今まで生きてきて何か一つでも、できたことがなく、
今、ようやく辛うじて社会の片隅に引っ掛かってるありさまで、
でもつい一年ちょっと前まで私は頭がほんとうにおかしくて、
おかしかったなあ。と、他人事のように思うのです。
そんな人間なのに今、わりとふつうに社会に溶け込んでいて、ふつうに会社員(肩書きが何であれ、まあ会社員なわけだ)として働いていること、とても自分のことに思えず、不思議。
祖父の命日を控えたきょう、墓参りにゆきました。寝不足でふらふらとする足で、お寺の砂利を踏んで、
太陽がまぶしくて目が開かなかった。
梅と桃の花が咲いていた。彼岸のお花はどこのもすこし萎れてきていたけれど、一様に鮮やかでうつくしかった。

午後には地元の(それこそ地元の、学生時代からずっと通いつめている市内唯一の)図書館にゆき、
さいきんまた読みたくなって読んでいる大崎善生の本を借り、
帰宅してお昼寝をし、夕食を作って食べ、ツタヤに行ってCDとDVDをレンタルし、そそくさとシャワーを浴びて、今。
ぼんやりたばこを吸えて、音楽が聴けて、本が読めて、すきなものを食べられて、
自由です。幸せな話です。すくなくとも今は。
思えばこんなふうにゆっくりと贅沢に時間を使えることって、12月からこっち、なかったように思います。ぎりぎりでした。なんだか、色々と。
ちょっとだけ色々が見えてきて、それはある種の諦めなのかもしれないんだけど。


眠くなったのできょうはあと、すこし本を読んで眠ります。

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しぬほどに

何か書きたい読みたい欲はあるんだけど、欲ばかりあって空回りしてる。

相変わらず体調がいまいちでぐだぐだしとります。お仕事はしてますよ。この状態がいつまでもつだろうか^^
おもえばおととしもおなじようにして前のめりに倒れてったから気をつけたい。去年はそんなこと気にしてる余裕もなかったけれど。

オタクしたい、っていうか死ぬほどときめきたいんですけど、ペトアンモブ女書いてからなんだかだめだな~テンションが戻らないはやく戻りたいです
あっちいったりこっちいったりして散漫してる、東でブチャアバをみれば「アバッキオ!!!」ってなるし西でペトアンみれば「アンデレ!!!」ってなるし、北で土井きりみれば「どいせんせ!!!」ってなるし。好きなものいっぱいだけどいっぱいすぎて何から手をつけたらよいのやらよくわからない。
そいや聖兄の11巻が出たらしいとのこと、ネットで知りました。きょうの夜にでも買ってこようかな。

9巻はアンデレの「兄貴」発言に萌えました。兄貴。
でもやっぱ「兄さん」呼びがさいこーだよ~~~

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ギリセーフですかだめですか

寝こんでから聖兄に再燃してしまい、漁師兄弟に萌えすぎて、たまらん、勢いで激痛夢小説(夢じゃない)をせっせせっせと書いていました。書いて、いたんですが、これは…夢……じゃないな……とも思ったので、ぴっしぶにも上げてみました。
【聖兄】愛と愛と愛と、【ペトロ←アンデレ←モブ女】
反則技だったらごめんなさい。気が済んだら下げるなりします。
元が夢豚だから痛々しいのは仕方がないのですもう治らないのだこの病は。

すきなふたりに第三者を絡ませるのがたまらなく!!すき!!です!!! みんなあさってのほうこうに矢印向いちゃってる関係性とかが、すき!!
ペトアン←モブのイメージ、『ケ.ンタと.ジュンとカ.ヨちゃ.んの国』という邦画で、フェリーに乗って北海道をめざすところでフロアで雑魚寝をするシーンがあるのですが、
ケンタとジュンがカヨちゃんに抱きついて、二人を抱くカヨちゃんがまるで聖母みたいにみえてすごくすごくすきなのですが、そのイメージがなぜかずっとあった。そういうのを書きたくて書きました、煩悩と私欲の限りをつくした……結果大火傷した感。

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幸せにはなれない

しりきれる



 息を吸って、吐いて、それだけで肺の中が凍りつきそうな、人を殺せそうな寒さがだいぶとやわらいだ、2月の夜はとろりとしていて、街全体が雨の湿度に護られているような優しさがあった。死ぬのなら2月がよい。と、私は幼い頃から漠然と考えていて、それはもう大人になってしまった今も変わらずに想うことだった。死ぬのなら2月がいいなと私が言うと、隣でステアリングを握るあの人は抑揚のない声で「へえ」と言った。
「2月。って、よく人が死ぬし」
 実際、私の看ていた患者が2人、今月に入ってから立て続けに亡くなった。
「季節の変わりめ。だからね」
 そうそれから11月、4月、6月、8月とかね。だいたいその頃にみんな死ぬね。運転席で前方を見つめながらあの人は言って、声は、すこし乾いている。
 硝子窓に貼りついた水滴を眺めて、私はあの人の声を脳内で反芻させる。近くにいるのに私たちの距離はあまりにも遠く、それは私も、あちらも、互いにけっして越せないように徹底したライン引きを行っているからだ。週に一度か二度、仕事以外で人間と関わりを持ちたがらない私が、唯一、何の責任も重圧も感じずにコミュニケーションを取れる存在がこの人だった。私には友達も恋人もいない。
 11月、4月、6月、8月。そして2月。人が死ぬ季節。人が死にやすい季節。それは医学的に根拠があって、季節の変わりめ、気温や湿度の落差が激しい時期であるからに他ならない。
「2月に死ねたらきれいに死ねそう」
 赤信号が近づきつつあった。ゆったりとしたリズムでのブレイキングで、私のからだにGがかかる。この瞬間が心地好くて、すきだ。と、おもう。
「2月は、清潔だし」
 どういうわけか私の2月のイメイジは、私の中でひどく美化されていた。どうせいつか死ぬのなら2月。白く清潔な2月。死因がどうであれ『死亡日・2月×日』とか、記載されることに、私は今、とらわれている。
「2月は、誕生日前だし」
 としをとってしまう、ひと月前だった。たったひと月の僅かな猶予に、すっと消えるように死ねたららくなような気がした。ではどうやって死のうかなどと考えることはなく、ただすっと消えるように、立春をむかえてやわらいだ寒さのように、あーそういえばあの人死んだんだっけって言われるような、そういう最期を私はいつまでもいつまでも望んでいて、それはできることなら、隣のこの人より早いほうが、よかった。隣のこの人より早く、そして清潔な2月に。
 ――甘ったれボケカス!
 わかっている、知っている、自分の甘さ弱さくらい。けれどそうでも思わなければ、生きていけなかった。どうせいつか死ぬ。と、そう確かなことを思っていなければ、私には生きることは、あまりにも難解すぎた。ただ息を吸って、吐いて、それだけでよいはずのことなのに、ただ息を吸って吐いて吸って吐いて、して、それだけで充分なはずなのに。
 Gがかかる。青信号が夜の中にぼんやり浮ぶ。隣には感情の読めない横顔ひとつ。



 すこやかに清潔に生きてゆける人がうらやましかったり、死ぬことなんて考えもせず生きてゆける人が憎らしかったり、ふつーにごはんを食べられてふつーに生活してゆける人がたまらなかったり、隣人に迷惑をかけているだけの存在である自分、みたいのを意識することもなく。隣の芝生はいつも青い。



(おもえば11月にも似たようなことを書いていた)

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