ハル Category:murmur Date:2015年03月29日 春の匂いがします。懐かしい匂いです。一人でいるのにも限界があって、気丈に、一人きりで生きられれば身軽でこれ幸いだけれど、人間なので、人間だから、温かさにはかなわずに泣けてきます。優しくてさびしい人に弱くて、そういう人が幸せであればよいと思う。あわよくば誰の何もかもがうまくゆけばよいと思う。それはもう心から思う。今は空気公団とくるりを聴いています。先日、久しぶりに友だちと会いました。数箇月ぶりに2連休をもらったので、ふたりで仙台を歩きまわってあれこれ語りました。私はいちおうは地元民のくせに、地元のことを何も知らないでこの23年間生きてきてしまったんだなあということを改めて思い知り、だめですね、もっと外に出てゆかなくちゃ。つっても生まれは仙台ではなく仙台のベッドタウンなんですけど。それでも学生時代、ちょっと電車に乗って仙台の街中に出るなんてしてこなかったしそんな楽しみ知らなかった。城下町を歩いたことも、お山をせっせせっせと登ったことも。世の中にはなんてうつくしいものがあるんだ! と思った。なんというか私は、今までほんとうに、なんにもしてこなかったんだなということを、間もなく24歳にもなるくせに今さら、ほんとうに今さら、思い知って、とてもとても恥ずかしくて、いたたまれなくなった。いったい、私は23年間、何をしていたんでしょうね。今まで生きてきて何か一つでも、できたことがなく、今、ようやく辛うじて社会の片隅に引っ掛かってるありさまで、でもつい一年ちょっと前まで私は頭がほんとうにおかしくて、おかしかったなあ。と、他人事のように思うのです。そんな人間なのに今、わりとふつうに社会に溶け込んでいて、ふつうに会社員(肩書きが何であれ、まあ会社員なわけだ)として働いていること、とても自分のことに思えず、不思議。祖父の命日を控えたきょう、墓参りにゆきました。寝不足でふらふらとする足で、お寺の砂利を踏んで、太陽がまぶしくて目が開かなかった。梅と桃の花が咲いていた。彼岸のお花はどこのもすこし萎れてきていたけれど、一様に鮮やかでうつくしかった。午後には地元の(それこそ地元の、学生時代からずっと通いつめている市内唯一の)図書館にゆき、さいきんまた読みたくなって読んでいる大崎善生の本を借り、帰宅してお昼寝をし、夕食を作って食べ、ツタヤに行ってCDとDVDをレンタルし、そそくさとシャワーを浴びて、今。ぼんやりたばこを吸えて、音楽が聴けて、本が読めて、すきなものを食べられて、自由です。幸せな話です。すくなくとも今は。思えばこんなふうにゆっくりと贅沢に時間を使えることって、12月からこっち、なかったように思います。ぎりぎりでした。なんだか、色々と。ちょっとだけ色々が見えてきて、それはある種の諦めなのかもしれないんだけど。眠くなったのできょうはあと、すこし本を読んで眠ります。 PR