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水とタバコ

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幸せにはなれない

しりきれる



 息を吸って、吐いて、それだけで肺の中が凍りつきそうな、人を殺せそうな寒さがだいぶとやわらいだ、2月の夜はとろりとしていて、街全体が雨の湿度に護られているような優しさがあった。死ぬのなら2月がよい。と、私は幼い頃から漠然と考えていて、それはもう大人になってしまった今も変わらずに想うことだった。死ぬのなら2月がいいなと私が言うと、隣でステアリングを握るあの人は抑揚のない声で「へえ」と言った。
「2月。って、よく人が死ぬし」
 実際、私の看ていた患者が2人、今月に入ってから立て続けに亡くなった。
「季節の変わりめ。だからね」
 そうそれから11月、4月、6月、8月とかね。だいたいその頃にみんな死ぬね。運転席で前方を見つめながらあの人は言って、声は、すこし乾いている。
 硝子窓に貼りついた水滴を眺めて、私はあの人の声を脳内で反芻させる。近くにいるのに私たちの距離はあまりにも遠く、それは私も、あちらも、互いにけっして越せないように徹底したライン引きを行っているからだ。週に一度か二度、仕事以外で人間と関わりを持ちたがらない私が、唯一、何の責任も重圧も感じずにコミュニケーションを取れる存在がこの人だった。私には友達も恋人もいない。
 11月、4月、6月、8月。そして2月。人が死ぬ季節。人が死にやすい季節。それは医学的に根拠があって、季節の変わりめ、気温や湿度の落差が激しい時期であるからに他ならない。
「2月に死ねたらきれいに死ねそう」
 赤信号が近づきつつあった。ゆったりとしたリズムでのブレイキングで、私のからだにGがかかる。この瞬間が心地好くて、すきだ。と、おもう。
「2月は、清潔だし」
 どういうわけか私の2月のイメイジは、私の中でひどく美化されていた。どうせいつか死ぬのなら2月。白く清潔な2月。死因がどうであれ『死亡日・2月×日』とか、記載されることに、私は今、とらわれている。
「2月は、誕生日前だし」
 としをとってしまう、ひと月前だった。たったひと月の僅かな猶予に、すっと消えるように死ねたららくなような気がした。ではどうやって死のうかなどと考えることはなく、ただすっと消えるように、立春をむかえてやわらいだ寒さのように、あーそういえばあの人死んだんだっけって言われるような、そういう最期を私はいつまでもいつまでも望んでいて、それはできることなら、隣のこの人より早いほうが、よかった。隣のこの人より早く、そして清潔な2月に。
 ――甘ったれボケカス!
 わかっている、知っている、自分の甘さ弱さくらい。けれどそうでも思わなければ、生きていけなかった。どうせいつか死ぬ。と、そう確かなことを思っていなければ、私には生きることは、あまりにも難解すぎた。ただ息を吸って、吐いて、それだけでよいはずのことなのに、ただ息を吸って吐いて吸って吐いて、して、それだけで充分なはずなのに。
 Gがかかる。青信号が夜の中にぼんやり浮ぶ。隣には感情の読めない横顔ひとつ。



 すこやかに清潔に生きてゆける人がうらやましかったり、死ぬことなんて考えもせず生きてゆける人が憎らしかったり、ふつーにごはんを食べられてふつーに生活してゆける人がたまらなかったり、隣人に迷惑をかけているだけの存在である自分、みたいのを意識することもなく。隣の芝生はいつも青い。



(おもえば11月にも似たようなことを書いていた)

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