忍者ブログ

水とタバコ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


映画「LEON」がちょうよかったよって話。

レオン 完全版DVD

あれこれamazonの画像貼れないのかしら。
諸事情によりお仕事一週間ほどお休みすることとなり、ほぼ寝たきり状態でできることがあまりにもないため、これはいけない、と思ってとりあえず五感を刺激したくて名の通ったタイトルを借りてきたのですが、昨日映画「LEON」を観てあまりのよさに身悶えたのでつい筆を執ってしまったっていう。

いうまでもなく高名なタイトルですが私は洋画がさっぱしだめで、なんならスターウォーズも観たことがない人間だったのですがレオンは、レオンは……レオンはいいぞってなりました。

孤独な殺し屋レオンと、おなじく孤独でおませな十二歳の女の子マチルダとの心の交流を描いた作品――みたいなことがウィキペディアに載っていたのでそう書きます、要するにだいたいそんな感じ。
うんまああるあるってかんじの内容ですが劇場公開が1994年とかそこらで、ああこれに影響受けたんだろーなーって思われる諸作品がちらほら頭をよぎりました。

レオンは学がなくて読み書きも満足にできないし、人を殺すことでしか自分を生かしてあげられない。マチルダは大人の汚い世界をみせつけられて大人を信頼できなくなっている、弟を可愛がって弟にはまっすぐな愛情を注いでいる。お互いが愛情に飢えててたりなくて、そのたりないところを埋めるように寄り添う関係はプラトニックで、父と娘に近くて、でもませたマチルダはレオンに「恋をしたみたい」などという。レオンはそれきいて飲んでたミルクを噴き出す。なにこの流れ萌えるしかないじゃん。って思った。

男女間の愛情についてさいきん考えてて、
男の求めるものはけっきょくは母性的な愛情で、乳をすったりしたがるのもおかあさんに甘える行動とおなじで、男女のセックスが胎内回帰願望に思えてならない。っていうかそのての脈絡が私がすきなだけかもしれないけれど、或いはそうであってほしいなーのあらわれなのかもしれないけれど。
子をつくる行為としてのセックスをいまいち、肯定できないので私はむしろこれを推すしこうであればいいのにって永遠に思いながら死にたひ。

それでレオンとマチルダの関係は限りなくそれで、そうそうこういうの!ってベッドに寝転がりながら膝を叩いたのでした。
マチルダが十二歳というのも、未成熟で処女で、マリア様みたいだった、ファッションも。願わくばマチルダにレオンを抱いてほしかった。

今思ったけれどマチルダのファッションってやんちゃ娘というより(現代ファッションでの)ロリータに近い。すこぶる可愛い。

レオンがマチルダに抱く感情ってまちがいなく愛情なわけだけど、それは恋人にむける愛情というよりかは母性を求める少年が抱く愛情であってほしいです。マチルダもレオンに向ける愛情は自分の子どもに向ける愛情であればいい。お互いに「この(人)(子)のことは(私)(俺)が護らなきゃいけない」って思いあってる。疵を舐めあってる。
疵 を 舐 め あ っ て る 。 is 萌える。



脱線しますが、
情報過多ってだめですね。
これだけ情報が氾濫している世の中で、もう完全に新しいものを生み出すことってほとんど奇跡にひとしいんじゃないかしら。何観ても何聴いても、「あっこれ××みたいなやつだ!」「あっこれ○○に似てる!」みたいな、「□□みたい」であふれちゃってる。それに反発して敢えてあのアーティストとおなじジャケ写にしました!って私のすきなアーティストがやってましたが、そのくらい皮肉ったり自虐(というのも違うけれど)を交えないと今後の創作物が継承されるってすごくむつかしんじゃないかしら。
とか、思ったり。
影響を受ける、って、最初に身を削って生み出した人の肉片を鍋でことことことこと煮こんでこんな料理にしました!ってことなんだけど、これからはそういうのさえなくなって、○○的なもの、□□風の、が増えてくんだろうなあと、歴史は繰り返すから。
ものには限りがあるし、生み出されるものにも限界がある。人間の想像力の限界、っていうか。それで生活に支障が出るってことはたぶんないんだろうけれど、感受性は確実にとぼしくなるのかなって。何観ても何聴いても「アー、ソレソレ、イイヨネ」。
とか、たぶんどっかの誰かが疾うに言っているだろうことを書いてみる。やっぱり限界はあるんだよね。人間だもの。


ああーしかしほんと、すごくいい映画を観さしてもらった…と久々にほくほくしましたほんとうにありがとうございました。うちの近所のレンタルビデオ屋は5枚借りてきて3枚は必ずいいところで停止→強制終了することが多いのですがレオンにかんしてはその呪がかけられてなくてほんとによかった。古田新太主演の「小森生活向上クラブ」に至ってはディスク入れた途端にガラガラガラッて厭な音がして“ディスクを再生できません”って表示されて生きる気力を失くした。レオンはそんなことなかった。ありがとう。さすが高名タイトルなだけあって管理がちゃんとなされている。DVD買います。

元気がないからって無駄に元気でちょうくだらないやつを観ようとしてやっぱ無理ってなるので、元気がない時こそ自分の好みの色合いの映画を観るべきだし小説を読むべきなんだなって思いました。


ああ~~~~ なんにしてもレオンはいいぞ。レオンはいいぞってなるからレオンはいいぞ。

拍手

PR

かみさまかみさま

高名な演出家である蜷川幸雄さんが亡くなられたと聞いて、泣けるような人間でよかったなと思う。

蜷川監督の上澄みみたいな作品をすこしばかり観たきりで、知識もないしたいして熱心なファンでもないくせにめそめそと泣いてしまったのは、ああこういう人も死ぬのだな、当り前だけど、当り前に年をとるのだなという事実を改めて思い知らされたからでした。酸素を背負った車いす姿で、お誕生日のケーキのろうそくを吹き消す映像をニュースで観て、この人も人間だったんだって不思議な心地になって気がついたら泣いていた。

私自身もうけっこうないいとしなのですが、
人間が生まれてきたり死んでいったりするという現実を当り前に“そういうもの”として納得できなくて、理解はできても納得はできていなくて、さいきんはとくに、名の通った人たちがばたばたとこの世から去っていくさまを眺めて、焦燥感で茫然としてしまう。キヨシローが死んだ時もおなじようなことを考えていて、あれはもう6年くらい前にもなりますか、その時から私はちいとも変われていないんだなあと思う。山口富士夫が死んだ時も。

生きているあいだに神様になってしまった人は、死んでようやく人間になれるのだってやっと気づいた。キヨシローが死んだ時、はじめてあの人のこと「あの人も人間だったんだね」って思えた。それまでああいう人が死ぬなんて思いもしなかった。でも、死ぬんだよなあ、当り前だよ、人間だもの。

神様ってきれいなものじゃなくてね、ひどく人間くさくて泥くさく這いずりまわって苦しそうに生きてる人こそ、人間だけど、神様だと思う。存在しない偶像じゃなくって実際に生きている人そのものが神様なんだ。だからいずれは年をとって死んでくんだ。神様だけど人間だから。


そういう人たちの訃報を聞いて泣けるような人間でよかったなと思う。それはもう心底思う。
ご冥福をお祈りします。

拍手


あの

丑嶋社長がほんとうにほんとうによすぎて、もうずっとめろめろだし、社長のことを考えて幸せな気持ちになって一日を終えるというていたらく、ハッピーすぎかよと思う。

病気みたいなことを書くけど、まあ元々病気だからもういいんですけど、
正直ここまで架空の一人物にハートを奪われてしまったことは記憶をたどる限りrksの岡田さん以来で、
ど、どうしたらいいんだろう、どうしたらいいの…?ってへやをうろうろする日々です。
幸せな脳みそを持っていてよかったなあ。

どうしたらいいんだろうかってか、何したらいいのかなってところでとどまっていて、
私は私が何をしたいんだかわからないままほもとか夢とか書きまくっているけれど(ごめんなさい)、
とどのつまり私はあの人のことを描写したいんだな、
描写することであの人のよさ美しさを描いてみたいんだなあ~と思い至り、
その術が私には筆を持つことしかなくて、
そうして何も、何一つもたいしたことが書けなくて、だからそれがもどかしくっていけない。

柄崎との関係性やら中学時代の竹本とのあれこれやら戌亥くんの執着やら(戌亥くん社長のことすきすぎ)、あらゆる方向からの愛を受けているな~愛されているなあ、すごく可愛い。
29巻以降髪の毛が若干伸びてるのがめちゃくちゃに可愛くて、可愛い、可愛い、、さわりたい……さわれない……

拍手


社長の匂いについて。

丑嶋社長と、誰でもない誰か。




 普段は黒いフードに隠されているうなじが今、目の前にあるという現実がいささか信じられない気持ちで、けれどあくまで現実であるからそれに甘んじて顔をうずめた。やめろ、といわれるかと思ったが、丑嶋は何も言わない。それで、ぴたりと鼻の頭を肌にくっつける。呼吸の音が聞こえる、背中の体温を感じる、あたたかくて大きな背中である。そんなことは疾うに知っていた、この背中が与えてくれる安心を自分は疾うの昔に知っていたはずなのに、まるで今、はじめて知ったかのような心地になるのが不思議だった。丑嶋はあくまで無言を貫いている。だから自分もそれに倣った。何かしらのことばを掛けても構わないのだろうが、丑嶋の浅く静かに繰り返される規則正しい呼吸のリズムを聞いていたかった。背負われている自分、という存在があまりに無力で死にたくもなる、けれどこの時間が永遠に続けばよい、とも思う。我が儘だ。でもどうしようもなく、ひどく心地よい。
 丑嶋の皮膚はじんわりと温かくわずかに湿っている。几帳面な彼らしく、きちんと洗濯のほどこされたパーカーからは柔軟剤の匂いが漂い、それに煙草と汗の匂いが混ざっている。紛れもなく丑嶋の匂いであるそれを、思いきり吸いこむ。おい変態、と、前方を見据えたていを崩さず丑嶋はいい、その低い声が心地よく耳朶を滑る。


・・・

社長の体臭について考えることはや三日が経ちました。私は元気です。あの人のこったから無味無臭なんだろなーと思いつつ。
社長がまじで恰好よくて可愛くてえろくて、毎日毎日社長のことしか考えられなくてつ、つ、つれぇ~~~~
はやく事後に美味しいパスタ作ってほしい。

拍手


そこのみ

呉美保監督「そこのみにて光輝く」という映画を2月に(レンタルだけど)観たのですが、たまらん、すき、と思い、また借りてきて観てました。3回め。
ことしの個人的最高傑作かもしれない……と早くも思う。
ああいう、疵の舐めあう人間関係がとてもとてもすき。そして生活感漂う雰囲気がドツボで、
これはもう所有しなければならないわという謎の義務感が沸いています。
閉塞感と個々人の孤独とどこにもいけなさを、あんなふうに映像でもって表現できるすごさ、
俳優陣の生々しさ、すばらしい。
池脇千鶴が水っぽくてきれいなのにぜんぜんきれいに撮らないところも、
現実、ってかんじがしてよかった。

佐藤泰志の「そこのみにて光輝く」が原作で、初見以来ずっと探していたのだけどどこの書店にもなくて、すわ、もう密林かしらと思ってたところ地元の図書館で発見したのでちまちまと読んでます。この作家は初めて読むし、今までぜんぜん知らなかった。調べてみたら死後絶版になってたみたいで、なんでや、死んだあとに評価されるって虚しいだけじゃないか。生前に評価されていればこの人は死ななくて済んでたのかもしれないと思うと、なんだか、なんだかなあってかんじです。いやどうなのかな。よくわかんないけど。


頭が退化しているのか委縮が始まっているのかことばが浮かばなくて、どうにも、いけない。もっと色々書きたいんだけど、書きたいんだけど、書きたいんですよ。
4月に入ってから仕事が大絶賛混乱期で毎日毎日一人で暴れてるんだけど、みっともないからやめたい。もっと寛大な精神を持っていたい。
相変わらずウシジマくんにお熱です。生まれて初めて週スピを買いました。社長ひとコマも出てこなかったけど巻頭カラーの社長が拝めて嬉しかったです。2冊買うべきだった…!あれ、コピーしてラミろうかな……そのくらい麗しかった……すき……。

拍手