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水とタバコ

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生きてるだけで、




 たいせつと思った相手に求めるハードルって、人によっては上がっていくものかもしれないけれど私はどんどんと下がっていって、究極のところ生きていてくれるだけでいい、そこにいてくれるだけでそれで、もはやそれ以上は何も望まないし求めない、求められない。私が私にたいして何も期待していない、求めていないせいかもしれない。否、ほんとうはずっとずっと自分に何かしらを期待していた。きちんと食べてほしい生きていてほしい、人間としての生をまっとうしてほしいというせめて、せめてもの希求。生きることにこんなにも消極的なのに生きたい、という執着はきっと誰よりもつよかったように思う。だから今まで生きてこられたのだろうとも。十代の頃に考えていた死にたさは漠然としていたけれどたしかなもので、爆発的なエネルギーをはらんでいてちょっと手のつけようのないものだったけれど今は、下火といえばそうで、死にたさイコールさびしみと言い換えることを羞じなくなった。私はずっとずっとさびしかった(今も)何をしていてもどこにいてもさびしかった、今も、だけれど、それを言語化することは羞じと思いできなくて死にたさというエネルギーに変えてきっと生きてきたね。くちにできた時にあっこんなにも死にたいのはさびしいからなのかと気づけて憑き物が落ちたような気持ちになっていっそうすがすがしくねー!私!さびしい!って叫べる程度には心がつよくなった。今じゃあインターネットのあちこちでさびしみが産声を上げていて、死にたさイコールさびしさ、を、誰しも認知できるようになって、私もそのうちの一人で、だから私はインターネットに救われた一人でもあるのですね。さびしい。って、呟いてみて誰がどうしてくれるわけでもないけれどくちにすることで確実に何かは変わってくれる。すくなくとも私はそうだった。あちこちで上がるさびしみに耳を傾けていたら頭が痛くなってしまって、けれど耳を塞ぐことができなくて、さびしいとゆうあなたのさびしみがどうかいつか報われますようにってインターネットのこちら側でばかみたいに祈って生きていてくれるだけでいいそれだけでいい、むかしは生産性のない生なんてしんだほうがましと自分に向けていたナイフ的なものの刃がいつの間にか刃毀れして何の殺傷能力もないものに変わってた。自分に向けていたそうゆうナイフ的なもの、をもう私は持っていないのだなあと思うと、何となくすこしさびしい。けれどあなたに求めるハードルは何も無くて、何も求めてないし何も望んでいない。それを伝えると語弊が生れるから、伝えないだけで、心の中では心をこめてずっとずっとそう思ってる。冬の午後五時半の空のふちは紺青に染まって、天井に黒がひろがってゆくさまを見あげてああ生きてるって思った。ひどく、ひどく寒くて、図書館を出た時に思わず身を縮めたけれど入り口そばに植えてあるさくらの樹にはイルミネイションがひかっていてすこし季節外れではないかしらんと思ったけれど、よい、きれいなものだった。イルミネイションはただそこに在るだけで歓迎されて勝手にたのしんでもらえるからちょっと羨ましいよな、べつにイルミネイションになりたいわけでもイルミネイションに飾られたさくらの樹が妬ましいわけでもないしそこに何の感慨も湧かなかったものの駅前は仕事帰り学校帰りのひとびとでにぎわいはじめていて私は借りてきた本を入れたトートバッグを肩に掛け直して駐車場に向かった。すれ違う人に私の姿は認知されているけれど誰も彼も私に何かを期待などしていないことはわかってたよ。

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