ラリり Category:murmur Date:2016年01月17日 『二十歳の原点』を読んでから京都にゆきたい欲が燻っていて日がな京都市周辺の地図を眺めています。来年度の特別休暇は5日間まるっと遣って京都で過ごしたいなあなどと考えつつ、できるだけ安価(かつ安全)なゲストハウスを探してみたりして ます。淡い希望。新幹線の場合交通費だけで往復4万かかるので、夜行で東京からの新幹線に乗り換えかなあ。体力だけが心配だけどそれもまた楽しいのかもしれない。 『二十歳の原点』を読んで、青春というものについて考えてた。私の青春はたしかにあったはずなのだけどそのあいだに何をしていたかと言われれば、何をしていたのかしら。何か、できたのかしら。学校にも行かず、バイトしたりバイト辞めたりバイトしたり、してましたが、それで、それで、どうなったのかな。その延長線上に今があって、とりあえずはまあ働いて一人で生活できる程度にはQOLは上がったけれど、肉体は勝手に衰えてゆくのに精神は3歳児のままだからふいにおそろしくなる。といって今の自分に何ができていないのか、についてはひどく漠然としていて、掴めない。かたちがない。かたちのないものは不安です。お金がないのも不安です。一人であることも不安です。いよいよもって一生涯を一人で過ごすのかしらんと思ってしまうきょうこの頃です。16歳の頃から絶対に結婚はしないと何を根拠にそうゆっていたのかわかりませんが、ゆっていて、その幼稚な決意表明が今ではただのどん詰まりの壁となって立ちふさがってる、感。別段、それについて何にも焦る必要はないし、今は自分のことをあやすのに精一杯すぎて、他人に構える余裕がない。たぶんただそれだけ。二十歳の私に比べればずっと私は大人になったしそれなりに人間として生き始めている。だから時間が解決する。解決する。解決、します。 私の青春とやらは本と音楽と映画と文章を書くことに浪費されて、それでもそれでよかったんだと思う。あの頃にあほほど本を読み、音楽を聴き、映画を観、文章を書いていたから今こうやって生きていられるんでしょう。そうして生きてきたんでしょう。どこにもいけなくたってどこにもいけなくなったって、あの頃のそうしたものはちゃんと根づいているし心配はいらないのだ。 私はやはりどこか世間知らずなところがあり、考えも浅く幼稚で、世界が狭く、自分のことを一生懸命に騙してあやして、けれどそうやって生きてゆくしかないのだろうなと思う。今さら、もう、私の根本を変えることはできないし、でも葉っぱは朽ちて落ちても季節が廻ればまた新しい芽を吹くでしょう。今の私のささやかな希望。 けさは10時半頃にようやく起きて、たばこを吸いながら豆乳を入れた熱いコーヒーを飲んだ。溜まった洗濯をしてこれまた溜まっていたレシートを整理して家計簿をつけた、日記を書いた。化粧を落とさずに眠ったのでこれからゆっくりお風呂に浸かろうと思う。 冬の日はやさしい。 PR