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水とタバコ

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柄丑

習作的な柄丑。
丑嶋社長は可愛いな。



 目の前にあるうなじがあんまり可愛くて、思わず舌を滑らすと枕に埋めていた顔が跳ね上がって柄崎は内心「しまった」と青くなった。薄闇の中で光る丑嶋のまなこが柄崎をとらえる。涙――おそらくは生理的な、――で湿って潤んだ目が光を走らせて、星のようにもみえる。一瞬、ひやりとしたが、丑嶋が大儀そうにため息をついて「やめろよ」とちいさく放っただけだったので、柄崎はすこしばかりほっとして、まなじりを下げる。彼のことだから拳の一つや二つ、飛ばしてくるかと思ったのだった。
「すんません、つい」
「……ンだその面は」
 そう言って柄崎の頬を鷲掴みにする丑嶋の右手は、大きく、長い指の腹はあたたかく湿っていた。ああ男だ、と、目を瞑ってもその手のたくましさがそれを如実に語る。社長は男で、立派な男で、俺と同じものがついていて、女にはあるものがなくて、その人をいま、俺は抱いてる。目の前にある現実のはずなのに現実感がまるでない、これまで何度かみた夢の中にいる心地で、柄崎は「ひゅいまへん」と頬を掴まれたていで再度、くちにする。
「あんまり、可愛かったモンで、つい」
 社長の、うなじが。柄崎の正直なもの言いに、丑嶋はあからさまに嫌悪感をあらわにする。眉根を寄せて、「気持ち悪ィな」と吐き棄てる。
「男が、男にいうモンじゃねぇーだろ」
 柄崎は「はは」と渇いた笑いを洩らし、
「まあ、わかってンですけどね」
 丑嶋の耳朶に指を這わせた。夜闇が色を隠しているものの、触れればその肌はひどく、とてもひどく熱く、あぁあやべェまた勃起する、キモいっていわれる、丑嶋の反応の想像をしてふいに泣きそうになりながら、それでも弛む頬を抑えきれない。下がるまなじりを持ち上げられない。
「社長の耳、まっ赤」
 くちにすると、頬を掴んでいた手でもって耳朶に添えられた手を叩かれた。
「やめろ」
 この人以上の男などいないと思った。この人にずっとついていこうと心に決めた。だからこの関係は、たぶんに間違っている。ごめん、と、柄崎は心中で謝罪のことばをくちにする。中学生の頃の自分と、丑嶋に向かって、頭を下げる。俺、あんたのことすきになっちゃったよ。人として、じゃなくて、人として以上に、すきになっちまった。
「社長、」
 彼のことを名前で呼ばなくなり、タメ口をやめれば、過去と現在を別のものとして扱える気がした。けれど、その考えなど浅はかだったことを柄崎はすぐに思い知った。どんなに時間が経ったとして、現在は過去の地続きでしかなく、丑嶋馨という人間はいつまでも“丑嶋馨”という人間だった。中学生だった頃の彼と、今の彼と、違うところはどこにもなかった。
 丑嶋への想いが憧憬から恋慕に変わった瞬間を柄崎自身覚えていない。何か決定的なきっかけがあったのかもしれないが、今はただただ目の前のこの人が愛しいと、それ以外の感情がなかった。
「社長」
 うつ伏せの状態から僅かにからだを反転させ、手の甲を額に宛てて、丑嶋は億劫そうに「なンだよ」と言う。呼吸にまぎれさせるようなちいさな声だった。
「すきですよ」
 一瞬だけ、手の甲に隠された丑嶋の瞳が自分を捕えた――気がした。視線が交錯した一瞬間にはすぐにぷいと顔を背けられてしまったが、その仕草さえも可愛いと思うからそうとうに病気だ、と柄崎は自覚する。
 ――でも、病気だっていいじゃねーか。
 普段は会社で、社長と社員という立場でしかない二人が、ふたりきりになれる僅かな瞬間を柄崎は愛していた。照れ屋で、捻くれていて、滅多に優しいことばをかけてくれなくても、この瞬間があれば生きていける。
「……お前さー」
「はい?」
 唐突に声を掛けられて頓狂な声が出てしまった。丑嶋がじっとこちらを見つめている。その瞳を見つめ返していると、にわかに彼の唇の端が持ち上がった。
「セックスのたんびにふにゃふにゃすんのやめろよ」
「ふっ、ふにゃふにゃ?」
 何が、どこが? 思わず下半身を見てみるが、「ばか違ェーよ」と一喝される。
「その、阿呆面なんとかしろ」
「阿呆面、」
「ふにゃふにゃしたなっさけねぇ笑い方」
「え、俺そんな笑い方してました?」
 ぺた、と手のひらで頬に触れてみる。顔全体が弛みきっていたことはわかっていたが、そんな、指摘されるほどふにゃふにゃと笑っていたっけか。っていうかそんな笑い方、気持ち悪いだろ、さすがに!
「してた」
「……マジすか」
「うん。なンか、ぶっさいくだなーって。いつも以上に」
「ひでぇ!」
 丑嶋が咽を鳴らして笑う。その震動が肌を伝う。あぁあ電気つけて今の社長の顔見たい、笑った顔見たい、つーか赦されるンなら電気つけっぱでヤりたい、ほんとは。
「社長、電気つけていいすか」
「だめ」
 つま先が柄崎の臑を軽く蹴り、いいからはやく続き、と無言で訴えかけてくる。
 柄崎は従順な部下らしく「はい」と返事をして、丑嶋の腰骨に手のひらを添わせた。汗と精液にまみれた肌は触るだにいやらしく、昂奮を煽る。
 しゃちょう、と、柄崎は丑嶋の硬い腹筋に舌を這わせながら口走る。すきですよ。すきです。あいしてるんです。ほとんどことばにならないことばは、唾液に溶かされ丑嶋の腹を滑り落ちてゆく。
 すきだなんて、そんなん届かなくていい、聞こえなくていい、でも知っていてほしいと思うのも贅沢かな。でも、知っていてはほしいンだよ。俺はあんたがすきなんだって。
 柄崎の頭にあたたかい手のひらが落ちてくる。大きな手のひら、長く、節ばった指。頭ごと掴まれて潰されそうな、でもそれでもいい、あんたがしたいならそうしたっていい。
 柄崎の思いとは裏腹に、けれど手のひらは、柄崎の短い髪の毛を玩ぶように摘んだり、頭皮を撫でたり、優しい動きをくりかえす。それを触角するたびに涙が出そうになる。またふにゃふにゃとした笑顔が浮かぶのを、やはりとめられないまま、柄崎は丑嶋を見上げる。夜闇の中で、おぼろな輪郭に縁取られためもとがわずかに下がっているのを、柄崎はたしかにみとめた。

 

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