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水とタバコ

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夏だし、そのに

夏だし、あついし、セックスでもしませんか。戌丑バージョン。





 コンクリートから立ち昇る熱気が、ネオンの灯りを陽炎に変える。真夏の夜の新宿は街自体も、蠢く人々も、みな熱に侵されてどこか足取り覚束なく、それでいて浮かれ、夏という季節をおのおのに浪費しているようだった。戌亥は首筋に滲んだ汗を手の甲で拭い、浅いため息をつく。目の前で禍々しい色を放つHOTELの文字を見上げ、ついで、隣に立つ男を横目で見やる。
「ど、うする?」
 ここまで来ておいてどうするも何もない。心中で自らに悪態をつきつつ、彼の答えを待った。隣に佇む丑嶋は、ちらと戌亥を一瞥した後、ただ一言「あちィ」と、呟いた。
 あつい。当り前だ。今は夏だもの。思わず苦笑が洩れた。彼らしいことばだと思った。
「じゃァ、入ろうか」
「何が、じゃァ、だよ」
 言いつつも、何の躊躇いもない様子でホテルの扉をくぐろうと歩きだす丑嶋を慌てて追いかけ、「え、ここでいいの」とその背中に呼び掛ける。
「いい。あちィ」
 彼の背中から、煙草と、居酒屋で食べた焼き鳥の匂いが漂った。それから、消えそうに微かな香水の香。すっと鼻腔をくすぐるそれにつられるように追う自分を、親鳥についていく雛みたいだなと、思う。実際にはそんな可愛いモンでもないけども。お互いに。
 無人のエントランスでてきとうな部屋を選び、丑嶋は鍵を掴むとすたすたとエレベータへと向かう。
 糞あついから、シャワー浴びてぇ。そうくちばしった丑嶋に、「ホテルでも行こうか」と提案した時の自分はきっとどうかしていた。戌亥はエレベータに乗りこみながらぼんやりと天井を仰いだ。ひどく、ひどくあつく、それは酒をすこし呑んだからだとか、焼き鳥を食べたからといった理由ではなく、単純に、夏のせいに違いなかった。真夏の夜の新宿で、ふたりは所在なくあつさに喘ぎ、それで、そうして戌亥は彼をホテルに誘った。なんでノるんだよ丑嶋くん。即刻拒否されるものと思っていたのに、丑嶋は無言で戌亥についてきた。車はコインパーキングに停めたままだった。咄嗟に明日の朝までの駐車料金について考えたが、朝までホテルにいるつもりである自分に戌亥は驚愕した。
 入った部屋はどこにでもあるラブホテルと違わず、過剰な装飾で彩られ、目に滲みるほどの鮮やかな照明が戌亥の目を眇めさせる。鍵をサイドテーブルに放り、丑嶋は所在なげに立ち竦んだ次の瞬間にはシャツを脱ぎ、ジーンズ姿になると無言でシャワールームに向かってしまった。ベッドルームから硝子張りの浴室は内部のさまがよく見え、その演出している感がかえって興ざめさせる。だというのに、まるで当然のように勃起していく下半身が、疎ましかった。男の単純さを思い知りながら、まあ丑嶋くんも男だけど、と、心の中でつけたしてベッドに腰を下ろす。
 彼を抱き、彼の抱かれるわずか先の未来が、ここに来た今でさえ信じれず、けれどこのままなし崩し的に、俺は彼を抱くのだろう。シャワーの音が鼓膜を刺激するたび、下半身は緩やかに熱を帯びて、苦しげにパンツの中で育っていく。いっそう頭をかかえたく、なった。いつだってすきだと思い、いつか抱きたいと思いつづけていた人との初めての夜が、こういうかたちで訪れるとは思わなかった。エアコンを入れても中々冷えてくれない部屋、茹だり、蒸していく脳みそに、思考が鈍っていく。せめてもう少し酒をのめばよかったのかもしれない、夏はあまりに人を狂わせる。

「出たぞ」
 ほの暗い部屋に戻ってきた丑嶋は、汗を流していくぶんか、すっきりとした顔をしていた。それでも効きの悪く、黴の匂いのするエアコンからの風に顔を顰めるさまは、いつもの彼で戌亥はすこしばかり安心をした。
 丑嶋がベッドに腰を下ろすと、スプリングの傷む音がやけに大きく響く。ほのかにシャンプーの匂いがする隣の男は、無言で、何かを言い出す様子はない。寝る、とも、帰る、とも言わず、ただベッドの淵に腰かけて、冷蔵庫から出したミネラルウォーターをひとくち飲んだ。
「それ、ちょっとちょうだい」
 視線でしめせば、黙って差し出されたペットボトルを受けとり、戌亥もまたひとくち、つめたい水をくちに含む。それからまた丑嶋に返し、彼が飲んだところで戌亥は彼に顔を近づけて、軽く触れるていどのキスをした。
 水っぽい唇に唇が触れると、自分の熱を再確認して気恥ずかしくなる。彼はあまりにも冷静で、普段と変わらぬ様子で、それでいて自分を拒絶しない。気持ち悪ィ、といって突き飛ばすわけでもない。糞、と、胸のうちで毒づいて、戌亥は丑嶋に圧し掛かるようにしてベッドに体を沈ませた。


 つう、と指を這わせれば、本能的に反応する丑嶋を可愛いと、思う。こんなガタイのいい男を可愛いだなんてどうかしている、でも、どうしたって目の前の男は可愛くてうつくしくて、今、自分だけにその表情を仕草を見せてくれている事への優越感が戌亥の胸を満たしていた。「ん」。喉奥でこもる声やほのかに紅潮した肌がいとおしくてならず、鎖骨に舌を滑らせると反射的に逃れるように引かれた体を両手で押しとどめた。
「舐めンな」
 苛立たしげに放たれても、脳がとろけてしまっている今、戌亥には照れ隠しにしか感じられず、含み笑いを洩らせばさらに舌打ちが追いかけてくる。
「うしじまくん」
耳もとにくちよせてそう呟けば、彼の肌がふると震えた。
 ――うわぁ、かわいい、
 熱帯夜で、ただでさえ熱の籠った脳は侵されたように崩れて、戊亥の欲情を煽っていく。理性の糸は疾うに切れていて、これ以上やったらきらわれるかも、厭になられるかもといった危惧は、けれどいつしか、そんなもの知ったことか俺は彼を抱きたいンだ、このまま、あつさも巻き添えにしてぐちゃぐちゃにしたいンだ、ゆるしてね、誰に言っているのかもわからぬままぺろぺろと、肌に這わす舌の動きを速めた。
「いぬい、」
 唐突に湿った丑嶋のてのひらが戊亥の背中にふれ、戊亥はハッとして顔を上げた。ラブホテルの淡い照明が丑嶋の顔を濡らして、それは笑ってしまうくらいに扇情的な光景だった。
「……やだ?」
 厭なら、厭だと言ってほしかった。いつものようにすなおに、なんの裏表もないぶっきらぼうな調子で、突き放してほしかった。だからといってやめられるかと問われれば自信はなかったが、それでも何も言われぬよりは、理性の糸の綻びに気づくくらいは出来るだろうに。
「や、……じゃねぇ」
 苦しそうな息のあわいから、丑嶋は細い声でそう呟く。
「……マジで?」
 戊亥は彼の瞳をみつめる。そこに映る自分の阿呆面が恥ずかしい、彼の瞳はこんな時でさえクリアで、とうめいで、憎らしいほど澄んでいる。
「マジで」
「いいの?」
「いいつってンだろ」
 背中に触れていた体温が離れて、やにわに戊亥の顎を掴む。大きな手である。彼が男である証明で、同性であるはずの彼をこんなにも求めている自分を疑いそうになった。体を引き離そうとして、けれどそれをとどめたのは丑嶋のほうだった。掴んだ顎を引き寄せ乱暴にくちづける、湿った唇に唇が触れると、ああ、あつい、と、戊亥はあらためて思い知る。
「あついね、丑嶋くん」
 真夏の夜は人を狂わせる。そんなことばに身を任せてしまう自分達を愚かしくも愛しく思う。今だけ、と、戊亥はくちづけられながら誰かに赦しを請うた。今だけ、今だけだから、ゆるしてね。飯の後にホテルに誘った事も、こうしてじゃれ合ってる事も、汗の滲んだ肌に触れた事も、くちづけを拒まない事も、今だけだからどうか、誰か、ゆるしてね。
「すきだよ」
 そうしてことばにしてしまう事も、夏のせいにして、気が狂った事にして。
何も言わぬ丑嶋の鎖骨に顔を埋めると、香水に混じった汗の匂いがした。夏の匂いだ、と、戊亥は少しばかりせつなく思った。

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